全世界の人間環境問題のことがニュースで流れるといつも心が痛みます。
今の環境がこうなっている責任は今を生きている私たちの責任です。子どもたちのことを思えば思うほどに、何を遺しているのが自分の生き方なのかと向き合うことばかりです。
昔の先祖たちは智慧があり、自分たちがどう生きることが子孫の繁栄と発展につながるのか、そして種を遺すためにどんな今を遺せばいいのかを真摯に取り組んできたように思います。
自然の中から、どうすれば何千年も生きていけるのか、生き残れるかと何よりも悠久の時間を観ては長く広い視野で物事を見つめていたように思います。その自然の叡智を自分たちの生活にまで還元し転換することで代々の生活を見守ってきたように思うのです。
それらの文化は何よりも優しさと思いやりに満ちており、共生と貢献の自然の仕組みにピタリと合っているのです。それを民族の歴史ともいい、そういった祖神たちの徳恵によって私たちの今は存在するのです。
それを御蔭様といい、先祖たちの御蔭で今の私たちが存在しておりますという意味です。
その恩恵に感謝するほどに、お返ししようにも直接はできないのだから子どもたちにそれを遺そうとするのが感謝の絆なのです。言い換えればこの「感謝の絆」こそが「自然循環」のことです。
昔は成人したならば、残りの人生は子どもたちのために生きなさいという言い伝えがありました。これも成人までできたのならば、子孫のために自分のいのちを使いなさいという意味でしょう。自分が生きられ活かされ感謝できるようになるのなら、子どもたちに何が遺せるのか自分のいのちの使い道をよく考えるようにという伝導があったのでしょう。
今を生きる私たちは自分のことばかりを考えがちです。しかし自分が今まで育ててくださった偉大な存在に対してどう思っているのでしょうか。その存在があるからこそ今があるのなら、自分にしかできないことでお役に立とう、そしてそれは子どもたちのためにより善い世界を譲っていこうと考えることでしょう。
子どもは絶対的に人間や環境や社會を信じてこの世界に産まれてきます。その子たちにどのようなモデルを示せるか、どのような生き方を真似してほしいか、それは今の大人たちが自覚しているはずです。そういうものを道徳というのかもしれませんが、より善いものを譲る中にこそ、祖神の徳が満ちているのです。
全部自分一人で世の中を変えることは難しいかもしれません、しかしその方法や仕組み、生き方は多くの人たちに遺せます。
それを私は子ども第一主義と定義しています。
自然循環の源になっている自覚を忘れないように、ご縁を弘げ実践を高めていきたいと思います。