人間は行動せずに脳だけで処理を行うと、あたかもそれをやっているかのように感じ始める生き物です。実践が実践ではなくなるのも、やっている気になるからであり、分かったことが分かった気になるのもそれは脳が関係しているのです。
事故で手足を失った人が高確率で、四肢があるかのような感覚を持ってしまうという話があります。これは脳が思い込んだものが現実にあると勘違いしているのです。また見た目が善い食べ物を食べてもいないのに美味しいと思い込むのも同じく脳が先に味をつくってしまうのです。
これと似たことを常に脳は行います。たとえば、日々にやっていないことでもちょっと習慣がついたと思えばそれをやっているように思いこむのです。言い換えれば脳が見せかけを用意し、その見せかけによってあたかもやっているかのような体験を仮想するのです。知識のみが豊富に偏れば偏るほどに脳は体験を仮想補填してしまいます。
私はよく脳を裏切るという言い方をしますが、脳が嫌がることを敢えて行うことで脳の思い込みに騙されないようにしていくのです。
これは習慣の持つ仕組みの一つで、脳が嫌がる行動をすれば脳が行動により思い込みを取り除くのです。思い込みが取り払われれば見せかけが消えますからはじめてそこに実相がありのままに顕れてきます。
そこで脳が思い込みを捨てる方を選べば、そこに心の力が動かされていくのです。心が強い人は脳に左右されませんし思い込みが少ないものです。
これは脳が嫌だと感じる前に、心が動き、行動がはじまりそのことで脳の思い込みを持たせる時間を与えないからです。これらの刷り込みは、教えられる弊害であり、このことより子どもの好奇心を失うことで病魔のように脳が仮想を次々に生み出すようになり不安からさらに目が曇り始めます。
実際の現場では起きてはいないようなことをまるで起きているかのように錯覚したり、実践をしていなくても悟ったかのように勘違いします。知識を得て、世界を仮想化するのはできても現実世界は思い込みで成り立っているだけで実際は自分をも変えることができなくなるのです。
自分を変えるには、まずこの脳の思い込みを捨てる努力が必要です。
そのために数々の習慣をものにして、脳が嫌がることを敢えて行う訓練をして自分自身のコントロールを正しくできなければなりません。現実は常に現実として目の前に顕れます、受け入れがたいこともあるでしょう、そんなときは変えるチャンスだと思います。
自分を変えたいと強く願うからこそ、実際の行動の方から自分の脳を裏切り、脳が嫌がることをたくさんしてでも信念や理念を貫いていくことで、自分の人生は刷り込まれない正直な場所でいられるのだと思います。
行動による疲れは、脳の仮想をつくらせる余地を与えません。心地よい疲れというものは、心が地についた疲れということです。変に考えすぎるよりも、心が思いやりを優先するほうに従って自らの習慣を育て上げれば立派に自分の人生の道を切り開く人になると思います。
常に自分の心をで信じた方を優先する生き方を示していきたいと思います。