むすひ

日本には古来から「むすひ」(結び)の信仰があります。

禮を深めて最初に出会うのがこの結びという考え方です。本来、中国で産まれた禮ですが日本に渡来してから日本のものへと発展しているように感じます。先日、流鏑馬でご縁をいただいた小笠原流礼法も紅白の紙で包むや糸を結ぶという作法が沢山存在しています。

これは日本の古来の精神と禮が合間って取り入れられたのかもしれません。

この「むすひ」というものが何であるか、京都の平安神宮のHPから引用させていただくとこう書かれています。

『日本の「結び」は「物を結ぶ」という以外に、人と人、心と心の関係をも「結び」として表され、特別な意味がふくまれています。たとえば結婚式は、男女が結ばれ両家が結ばれる大切な儀式です。神楽殿 ご縁を表す「むすび」は、古くは「産霊(むすひ)」いって、すべての物を生み出すご神威のことを表していました。天地・万物を生み出された神様に高皇御産霊(タカミムスヒノカミ)・神皇産霊神(カミムスヒノカミ)、出産の際に見守って下さるのが産神(ウブガミ)という産霊の神様です。 また、産土(ウブスナ)の神様というのはわたしたちが生まれた土地の神様で、氏神様や鎮守様とも呼ばれますが、どこにいても自分の一生を見守って下さる神様です。神と自然とすべてのものと結ばれている存在が、わたしたち人間です。そして、この感覚を信仰の形で伝えているのが神社なのです。神社の祭りでは、まず始めに神様にお供え物をして、終わると「直会(ナオライ)」といって、そのお供えをおさがりとして食します。神と共にいただく、つまり神様と一体に「むすばれている」ことが大切なことなのです。』

神道では、連綿と絆が結ばれて永遠であるものを縁起としています。言い換えれば出会いやご縁というものには何かしらの偉大な見守りがあると信じているということです。

そしてその結ばれたところにこそ神威が宿ると観えていたのでしょう。

自分が一体、何と結ばれてここまで来たのか。ご縁は果てしなく結ばれた中に今の自分が存在し得ています。これはつまり宇宙とは結びによって存在しているということを意味するのです。

たとえば、父母が結ばれなければ自分は存在できず、その土地と結ばれなければ自分は育たず、魂が結ばれなければいのちも産まれません。言い換えれば、「むすひ」とは、万物のはじまりを顕し、そこが永遠に続いているということを示す言霊なのでしょう。

他人に対する禮の真意は、この「むすひ」をどれだけ忘れていないかということでしょう。

出会ったこと、ご縁があったことにどこまで感謝を示しているか。それは出会って何が産まれたのかを信じているということです。様々なことと結ばれるところに発展と繁栄が存在しています。その発展と繁栄に感謝を添える、真心を尽くす、そこに禮の姿があるということです。

一つ一つをキチンと結んでいくのか真の自立なのかもしれません。心というものをどのように表現するか、その禮をまだまだ深めていきたいと思います。