一緒にはたらく

人には与えられている中で感じる自由と、与えられていなくても感じる自由があります。

与えられる自由というものは、相対的なものであり相手の意図や意志がそこに入っていますからその中で自分がどうするかというものを考えるものです。しかしもう一つの自由は何かといえばこれが私が思う自由で全体の幸福のために自分から親切にしていくときに感じる自由です。

人は自分の問題になるのも自分の責任になるのも自他一体にならないとそうはなりません。どこかで自分と他人や、あっちとこっちと分けていたらいつまでも本当にそのものと一体に同化することができないからです。

みんなと一緒に取り組むということや、絆を結んで協力するというのは自分を自由に存分に社會の中で立てていくことです。そしてそれは人に親切にすることだと私には断言できます。自分のことを考えてから相手のことを考えるのではなく、みんなの幸福を考えていれば自ずから相手のことも自分のことも、周りへの思いやりも発揮できるのです。

そうしてそういう時にだけ人は無私や無我になりそのものと一体になれるのです。

誰かの御役に立ちたい、誰かに必要とされていたい、誰かに愛されていたい、人間がそう思うのは自分の存在価値を自分自身が確かめたいからです。だからこそ人間は自分の能力を磨いて誰かのために使おうとするのです。しかし、能力がなければ役に立たないかといえばそうではありません。その時、同時に「はたらく」のは存在価値の真価です。

その存在が如何に大切かということをお互いに確かめ合うのです。それが「つながり」というものです。自分からつながりを感じることでお互いの存在価値を知るのです。人は社會性の生物です。言い換えれば地球にいる全生命は社會性の生物ともいいます。

それらの生物は、もっとも「つながり」を求めます。それはお互いの存在価値を確認したいのです、必要とされていたいのです。だからこそ社會はつながりを必要とし、そのつながりの中で自分自身が実感していくのです。

「はたらく」というのは必要となることです。それは「つながっていく」ことです。自分から自分の存在価値に気づいていくことです。そしてそれを実現するのは、自ら積極的に親切に自分を出し切っていくことと人生を愉しむことであろうと私は思います。

何かしなければ役に立たない、何もできないので自分はいらない、能力やそのものの価値を誰かの価値基準によって裁くというのはつながりの断絶です。つながりはもっと偉大でもっと無限に広がっていますから必要しかない世界なのです。

思いやりのない世界にはつながりは存在できません。「はたらく」ということは思いやりに生きるということなのでしょう。「はたらく」ことがいのちを幸福にしていくということを忘れず、また存在はすべて自分をいつも陰ひなたから助けてくださっているのだから感謝を忘れず、そしてつながっていくことを忘れず、この三つの忘れないことを大切に「一緒に」歩んでいきたいと思います。