今と人を大切に~一期一会~

人間は誰かを思いやることで礼儀を学びますが、その礼儀は感謝を忘れないということにつながっています。

そもそも親しい仲になるというのは、お互いに分かり合っている関係のことです。お互いの性格を知り、お互いのことを信頼し合うから親しくなっていきます。そしてそういう関係が当たり前になってくると、遠慮がなくなり失礼なことをしてしまいます。

失礼とは、読んで字のごとく礼を失したということで当たり前のことをしなくなっていくのです。思いやりや気遣いが足りず、相手の存在を蔑ろにしてしまいます。これは人にだけ関係することではなく、あって当たり前やこうあるべきであるのは当然だというような思い込みは感謝を忘れている証拠です。

自分が今、生きていることや、自分が助けられていること、自分が健康であることや、自分が必要とされていることなども当たり前のことだと思ってしまえば感謝はなくなっていきます。感謝がなくなってくれば傲慢になりますから、言葉や態度がとても相手を傷つけてしまうのです。

あって当たり前というものはない、それは人生は一期一会であるからです。

この今はもう二度と戻ってきませんし、このご縁は二度と同じようにはなりません。いつまでも続くことはないからこそ、何よりも大事にしようとする生き方が必要なのでしょう。今の時代は、お金を中心にしたつながりや、肩書きを中心にしたつながりが優先され、形式的な関係の中で常識を優先しようとしてしまいます。

取引先という言葉であったり、上司部下であったり、雇用関係であっても何かそこに当たり前といった常識から物事を決めつけて人に接するような風潮もあります。しかし本来のご縁は一期一会ですから、そこに常に「礼儀」があるということなのです。

礼儀とは、相手を思いやり、当たり前ではないことに感謝していることで実践されるのでしょう。私はまだまだで、自分のことばかりを考えては親しい人への言葉も丁寧にはなりません。天が自分に与えてくださっているのは天が真摯に苦悩するこんな自分の姿を憐れんで使わしていただいた大切なご縁です。

人生を振り返ってみても、いつも大事な局面で応援し励まし、一人ではない、いつも見守っていますよといってご縁をくださっているように思います。それはまるで父母の恩徳のように、有難いものだったように思います。

親しい仲とは、親と仲の字で構成されます。これは親しいというのは、親との関係のようなものということです。いついかなる時も見守ってくださっていることを自分自身が忘れないことが「親しき仲にも礼儀あり」ということなのかもしれません。

見守られることは当たり前ではないということを自覚し、自分も見守らせていただけることも当たり前にしないと覚悟することが礼儀を重んじることかもしれません。二度とない出会いをしているのが人生ですから、今と人を大切にしていきたいと思います。