種にも蒔き時、収穫時があるように物事にもタイミングというものがあります。
いくらこちらが都合よく計算していても、天候や周りの雑草、土地や気温など様々な環境、そのもの自体の育成の状況によって異なっています。
本来、タイミングというものはお互いの関係性によって育まれていきます。
つまりは、お互いが準備していなければタイミングもお互いに合わさないということです。
この準備をするというところにお互いの信頼関係という絆があるということです。
たとえば、植物でいえばいつの時期にどのようなことが起きるのか、その時、自分がどうするのかを予め予想しておきます。そうすることで、よく全体を観察し微妙にズレてしまう自分の方のタイミングを微細に調整しつづけることができます。
これは仕事でも同じです、タイミングが合うというのはいつも相手に合わせて自分の予定を調整しているからできることです。これは単に合わせているのではありません。これは積極的に自分の方からその仕事に取り組むのです、言い換えれば準備しているということです。
よく突然ほかの予定が入ったのでという言い訳や、急に出来事があったのでという言い方でタイミングが合わないといわれることがあります。しかし人間、どうしても何とかしたいと思うのならば準備を徹底的に行い、その時のタイミングがズレナイように工夫するのです。
それでも思い通りにならないのが自然ですが、自然に合わせるようになるのならば全体のために自分をもっと使い、それが徹頭徹尾すべて準備であるということを実践することで近づいていくように思います。
準備には、事前準備、今の準備、事後の準備というものがあります。
これは常に準備を怠らないという意味で、いつもタイミングが間違わないように創意工夫して努力しているということです。そしてそれは全体への気配りと配慮、つまりは思いやりを欠かさないということです。
たとえば、もしも生き物の世話をするのならこちらの都合で世話はできないものです。動物でも昆虫でもそうですが、きめ細かくそのもののいのちと接して、心で対話をしていくのです。それは思い込みや決めつけというものを乗り越えて、傾聴、共感、受容、感謝しつつ心を全体に合わせて気持ちを離さないということです。
意識は離れますが、心は思いやることで離れません。
意識は顕在意識ですが、心は潜在意識です。
この潜在意識は心が動かしますから、頭で計算しなくても心は全自動で働くのです。
心を遣うということは、相手のことを自分のことのように感じるということでしょう。これができないからタイミングがなかなか合わなくなるのでしょう。タイミングというのは、「一期一会」のことです。
奇跡のような時を過ごしながら、その時を無駄にしてはいないか。
今しかできないことに生き切っているかは、その人の生き方であり死に方です。生きていても頭で計算ばかりして生きた屍のような時間を無駄にするような人生にならないよう、自己一心の実践を大切にしていきたいと思います。