健康

人間は、健康であるということが何よりも大切であるように思います。

身体の不調が起きると、精神や心が乱れます。また精神や心の不調が起きれば身体が乱れます。健康というのはバランスのことであり、そのバランスが崩れるから本来の自然からかけ離れた生活を送り不調が起きるともいえます。

自然というものも、気候の変動から日々の気温の変化、また全体との変質で常に変わりつづけて已むことはありません。そんな中で生活する私たちも自然の一部ですからその変化に巻き込まれ続けていくのです。

何も変化のない日など送れるわけはなく、いくら本人が変化を避けようとしても人の老化と同じく変化していないものはないのですから日々に変わりつづけていく必要が生じます。

身体の健康管理は、目に見えやすく体調の不調や病気の兆候によってはやめに察知することができます。たとえば、皮膚に出てきたり、下痢をしたり、熱がでたり、頭痛がしたりと、身体がバランスを崩す時には崩れてきているサインがあります。それを治癒するには、食事や睡眠を改善し規則正しい生活を心がけたりすることで次第に回復していきます。

また難しいのが心の健康管理です。心は目には見えにくく自分が不調かどうかを察知する方法があまりありません。しかしよく観てみれば、自分が忙しい時や余裕がない時、他人を不信がるときや人と一緒にやりたくないとき、もしくは未来のことや過去のことばかりに思い煩っているときは心のバランスが崩れているサインでもあります。それを治癒するにも、深呼吸をして心を落ち着かせたり、思いやりに触れたり、内省を規則正しく行うことで次第に回復していきます。

それに精神の健康管理もありますが、自分の志がどうなっているのかなどは考えることもありません。精神が不調になってくると怠惰になったり、自分に甘くなっていきます。志を忘れたり、何のためにという本質を見失ってしまいます。これも精神が不調をきたしているのです。常に日々に真剣に一心一事に打ち込み、規則正しく自らを練磨し修養に努めることで同じく次第に回復していくのです。

身体、心、精神と書きましたがこれらは分かれているものではありません。これらはお互いにつながりあっていますから、これをバランスよく維持していくのが健康であるということです。その健康というものを維持するのの本質は、規則正しいかどうか、道理に合っているか、そして実践しているかどうかです。

これらは「実践」によって調和するものですから、実践なくして健康であるということは考えられないのです。実践することができるというのは自分がバランスを崩さないという規則正しい生活をする覚悟を決めているからできるともいえます。

つまり長くなりましたが、実践できていれば健康であり、健康であるというのは実践ができているということなのです。

実践をせずに、色々とやってみてもそれは結局はバランスが崩れたままに直そうとすることに似ていて結局は崩れてしまいます。そうならないようにするには、常に健康を維持していく精進こそが何よりも世の中に自分を役立てて自然体になっていく真理なのでしょう。

最後に実践人の家の森信三さんの言葉で締めくくります。

「人生二度なし、真理は現実の真っ只中にあり」

空想も妄想でもなく、ただ目の前にあるものは現実だという事実、現場実践の今、此処というのがバランスの調和した場所であることを忘れず健康である正しい日々を学び続けていきたいと思います。