昨日、もう30年以上児童養護施設でお仕事をされている施設長の方とお話をする機会がありました。色々とお話を伺っていると、この業界は人手不足や過重労働で大変なことになっているそうです。
児童保護された子どもたちの世話といっても、実際は家族と共に生活していくのを一緒に行うようなものです。24時間、365日、いついかなる時も活動していますからなかなか働いている職員たちがミーティングする時間も取れず、どうしても目の前のことに追われていることが多いようです。今では、業界の就職定着率が平均3年ほどしかないとのことでとても苦労しているようでした。
現在、看護や介護、福祉という社會のための仕事が人気がなく萎んでいるという現状に何か大きな危機感を感じてしまいます。
その施設長の方は、「日々のことに追われて目の前のことしか見えなくなっていけない、社會のことを常に観ていくことが社會福祉法人なんだ」と仰っていました。
続けて「福祉の仕事は自分の中だけでやるもんではなく、本来は社會を相手にしていることを忘れてはいけない」とただ目の前のことに追われるのではなく、社會を相手にしているかという意識が大切だと朝会などでよく話をしているそうです。
本来、私は社會福祉も社會企業もすべてはそこに社會が入っているものだと思っています。これは福祉や企業という言い方でもなく、個人でも自分でも同じです。そこには必ず社會というものがあるのが人間であり人間=社會です。
その社會がどうあるべきか、その社會をどう創っていくかは一人一人の社會参画に関わっているのです。単に日々に仕事や業務だけをしているのは目の前に追われている状態ともいえます、もしも日々の仕事が何のために行うのかを観えていればそれは社會を相手に働いているということになるのです。
どの立場や職種からも善き社會にできるからこそ会社や組織はそのために働いているともいえます。社會教育であれば、よりよい社會をつくる子どもたちを育てているのであり、社會福祉であれば、思いやりのある社会をつくる人たちを養護しているのであり、社會企業であれば、社會が間違った方へいかないように正したり直したりすることを行っているのです。
私たちの会社は社會企業であり、自分たちが相手にしているのは目の前の業務ではなく社會全体です。世界を変えるというのは、社會をより善くするということでそれは自分の働き実践そのものが如何に社會に影響を与えているかという実感を日々に持つことのように思います。
何のためにを忘れるとすぐに人は目の前のことに気を取られては、日々に忙殺されて自分自身のことだけに囚われてしまうものです。特に今のような時代はどれだけ本質から外れていないか、如何に本質に止まることができるかが大切のように思います。
社會というものは変化していますが、変えてはいけないもの、変えなければならいものは常にその時代を担う人たちの責任であるように思います。
最後に「今の福祉は全部後手にまわってしまっている」という言葉が印象的でした。そういう立場に追い込まれるほど社會が今は貧しくなっているのかもしれません。だからこそ私たちのような社會企業家たちが立ち上がり、世の中を変革していくために自らの働き方と生き方をもって社會に1本自らの姿勢を立ち上げていくことが志士たちの役割なのでしょう。
社會を信じているからこそ、自らの組織で社會を創り上げその一員として社會に存在意義を示すこと。先日の日本理化学工業の視察でも実感しましたが、今こそ社會企業がお役に立てる好機なのかもしれません。
実践をお役に立てていくように、常に前進して已まない自分を練り上げていきたと思います。