先日、徳について深めているとある発見がありました。
生きものというものはその体内に徳を有しているものです。その徳は、四季に影響を受けているものです。人生を四季に例えるのも、またその徳の流れによるものです。いのちは周囲と共に発達し発展しますからそのものだけで生きることはありません。知らず知らずに受けているのが周囲の恩徳ということです。
これを少し自然界を用いて説明してみます。
生きものというものはすべてにおいて積算温度というものがあります。今、身近で育っている烏骨鶏でも卵を孵化するのに約21日以上の積算日数がかかります。同じく変温で生きる昆虫も卵が孵るのにはそれぞれに積算温度が要ります。これは植物でも同じく、冬から春にかけ、また夏の暑い時期に成長していくために必要な積算温度があるのです。
言い換えれば「熱」というものですが、この熱は地熱、太陽、いのちの熱ですがそういうものを体で受け取りそれを代謝することで生き物たちは活動することができるのです。
人間も10月10日間、母体の中での積算温度があります。そして母体から出てきてからも、周囲の温かい真心や周囲の体温によって育まれていくのです。
いのちの全てには「積算」という考え方、つまりは「積む」という概念が存在します。そしてこれは一体何を積んでいるかということなのです。
自然界ではこれを「徳」と呼ぶのでしょう。人間は徳を勘違いしていますが、私にはこの積算温度が徳であるのを実感するのです。
私たちが共に生活するこの地球には温度があります。
その温度の恩恵を受けて私たちははじめて生きられますから、生きている以上温度を感じないということはありえないのです。温度があるということは、その熱により活かされているということです。
農業では、積算温度計といってその積算温度から逆算して収穫を測ったり、虫たちの発生を予測したりするそうですが、人間も同じくその熱を測ればどの時期に開花するのか、実をつけるのかもある程度予想できるのかもしれません。
だからこそ徳を積むという考え方は、徳によって活かされているという言葉になるのです。徳に報いるというのは、その熱をいただいているからこそその熱をより周囲への熱に転換していこうとする自然の生き物の「ハタラキ」なのでしょう。
生きものたちは地球の温度とリズムに対して絶妙に熱を測ります。その熱の中でどの時期に産まれればいいか、どの時期に出てくればいいかを知っているのです。たくさんの生き物たちが出てくるときに出てくればいいのです、易経では潜龍といいますが、潜龍もその熱を感じて昇龍の時機に合わせて徳を積算していくのでしょう。
徳の積算とは、熱の積算です。
言い換えれば熱の伝導とは徳の伝導なのです。
積み重ねていく日々をその温度を感じながら弛まずに怠らず成長を味わい、その熱を周囲へと伝導し、未来への子どもたちへと徳を譲り渡していきたいと思います。