何かの商品を開発するときや、誰かに自分の持っている商品をご提案するというのは相手の立場を思いやらなければできないものです。自分が善いと思うものを相手に伝えるのも、相手の心と一体になるからです。
人には欲と心というものがあります。良いことをしたといっても自分の欲で喜んでもらったと感じるのと、相手のことを思いやり自分のできる全霊で相手が心底喜んでくださったと感じるのではまったく意味が異なります。
松下幸之助は「お客さまの欲しがるものを作ってはいけない。お客さまの喜ぶものを作りなさい」といつも説いていました。いつも社員が何かをするとき、また提案するとき、常に「それで御客様は喜びますか?」と真摯に確認していたそうです。
「松下幸之助は自ら興した松下電器の究極の目的を、金儲けではなく、人間の幸せを実現するということにおいていた。したがって、松下で仕事をするということは、利益を上げることが究極の目的ではない。それはあくまでも結果であり、究極は「どうしたら人間に幸せを与えることが出来るか、どうしたら人間に喜びを与えることが出来るか」と考え続けていくということである。」『全ては人間の幸せを実現するため』それこそが、松下幸之助の目指したことであった。」このように長年、松下幸之助の側近として仕えた江口克彦さんの著書で書かれています。
道というのは、どんな分野でも道があります。それが生き方です、職業で道は分かれるのではなく生き方次第で道か道ではないかがあるだけということです。商売道を行うならば必ず達すれば同じところに達します、それは保育道であっても同じく、あらゆる道は必ず達すれば同じ境地に行くのです。
それは山をどこから登るかだけでちゃんと登った人は必ず同じ頂きを知るのだと思います。
実際に御客様が喜びますかという問いは、究極の問いでそれだけ自客一体であったかという質問なのです。相手の立場がもしも自分なら相手が欲しがっているのではなく、相手は本当に心から喜んでくれたかどうか。それは自分自身が相手を喜ばせたい、言い換えれば幸せにしたいと願い祈る真心が発露していなければそうなりません。
目先の結果だけを追い求めて、単に相手が欲しがっているところに合ったからと売るのは本来の商売道ではなく、如何に自分が販売するということを通して人を幸せにしたかということを言うのです。
人が人に関わるというのは、どの職業であれ幸せにするということが本懐です。つまりは相手が自分に出会えて善かった、あなたに出会えて善かったと一期一会の念を抱いてくださるような自分自身を持つことです。
その自分の存在が相手の御役に立つとき、それは自分の欲で単に役立ったのではなく、幸せの御役に立ったという実感になるのです。この世の中は等価交換の世の中です。対価に対して対価を払うのですが、実際は相手は物の価値の対価だけを払うのではありません。その物を販売する人の真心や誠実さ、また幸せを願う真心にも対価を払うのです。
人は心がありますから、心が満たされるということは幸せになれたということなのです。
物心両面の幸せを提供するという言い方かもしれませんが、そもそも自分を活かすという発想も自分の人生を世の中に役立たせて捧げ切って往こうとする生き方も、日々の出会いの中で自分を確かめることができます。
一件の商談から自分の生き方が観えるのだから、現場はとても正直なのです。弛まずに緩まずに怠けずに、幸せのために自分を使っていただけるように精進していきたいと思います。