人間には価値観というものがあります。これは個人から見えている自分の視野ということであり、その人が生きてきていろいろな知識を持つことでその人の頭の中に思い込み作りこまれた世界があるということです。
その人の置かれた環境に左右され、その人がかかわった人たちや出来事にも関係しますが次第に自分の世界はできあがってきます。それは年とともに凝り固まってくるともいい、見えている世界が動かなくなっていくかのように価値観も固まってきます。
人間は、基本的には目で見ているものを信じます。食べるということでも、見た目でおいしいと思い込んでから食べることが多いのもそのためです。実際に目を瞑ってみて食べると舌の感覚が戻ってくるように、ほとんどが目で今までの経験からこんな味だろうと思い込んで食べていることが多いのです。人の好き嫌いも同じようなものです。
それくらい人は視覚に頼って生活しています。その視覚とは視野ですが、そこにも視野の狭さと広さというものが関係するのです。価値観が凝り固まると視野が狭くなり頑固になってしまいます。その逆に視野が広いというのは、素直で謙虚であるということで自分だけの価値観(世界)で物事を見るのではなく、多様な価値観(世界)から自分を観ることができるということです。
人は一度思い込んでしまうと自分を正当化しては他を責めるものです。そうして他を責めることでまた自分の世界を守ろうとするものです。しかし世界の真実は自分だけの世界を優先させるほど歪むことはなくありのままのものを見せてきますから苦しみはまた増大していくのです。いくら頑固に自分を守り続けていても、そこから前に進まなければならないときは受け容れるしかないのです。だからこそ自分から人の話を素直に聴く、自ら質問して受け容れるというように、心をオープンにし、あらゆる価値観に柔軟である自分を認めて育てていく必要があるのです。
自分の世界を変えるというのは、多様な価値観を受け容れるということです。言い換えれば”自他を責めずゆるす”ということです。もしくは、常に思いやりを実践するということです。
そうすることで、自分の価値観は雪が解けていくかのように流れていき次第にそこから真実が表れてくるように思います。雪が解けるかどうかは暖かい周囲の思いやりが必要ですし、その人そのものを認めて安心できるような愛情も要ります。
常にその人の善いところを観てはその人の価値観を受け容れる訓練を自分自身が実践しているかどうかが重要なのかもしれません。否定しないという訓練といっても過言ではないでしょう。人は同じではないから学ぶところがありますし、同じではないからそれぞれに役割というものがあるのですから凝り固まった思い込みを持つというのはそれぞれの特性を活かせないということになります。
正しいということをもっと広げて観れば、本当にそれが丸ごと全体に対して最善かまで突き詰めるということです。自分がどうしていることがもっとも世界のお役に立っているかを多様な価値観を受け容れつつ見極めるということです。
その実践は自他に対していつも善いところを素直に観て、謙虚に聴く信じる実践が多様な価値観を尊重していく生き方のことなのでしょう。
認めるというのは時にはつらく苦しいことかもしれませんが、もしも相手が自分だったらといつも思いやりを大切にご縁に感謝できる御蔭様と有難さのままで引き続き修身修行をしていきたいと思います。