庭の植物や自然の世界の生き物たちを観察していたら、そのものが単体で生きるよりも肩を寄せ合って生きている方が元気そうに感じます。それは一つの種だけを鉢に入れて他を引き離して育てているよりも、多くの種を一緒に近づけて身を寄せ合うように育てている方が活き活きと伸びていくからです。
当たり前のことですが、自然界のどの生き物たちも厳しい自然の中で身を寄せ合い生きています。大変だからこそ他を慈しみ、共感しながら明日は我が身と自分の与えられた場所で自分の与えられた天命に正直に生きています。
これは人間にも同じ事が言えることで、助け合い、思いやり、結束し、いたわり、協力してはじめて生き残っていくことができます。
そういう意味では、生き物たちは肩を寄せ合う距離がもっとも安心できるのかもしれません。本来人は一人でいる方が安心であるはずがありません、今は人間関係が嫌だと一人でいることを好むかのようなことをいうことが増えてきている時代ですが決してそんなはずはありません。
もしも一人で肩を寄せ合う仲間がいないならそれは本当に心細いものだからです。だからこそ人は仲間を求めては、一緒に肩を寄せ合う伴に出会おうと旅をするのでしょう。そして肩を寄せ合うということの同義語は、お互いがお互いのお役に立つときもっとも実感できるのかもしれません。
ダライラマ14世がこんな言葉を残しています。
「私たちは肩を寄せ合って生きています。 だから、この世における私たちの第一の目的は、他人の役に立つことです。 たとえ他人の役に立てない者でも他人を傷つけてはいけません。」
自分が役に立つことを求めては肩を寄せ合うのだから、役に立つかどうかを自分の価値観で裁くのではないという意味でしょう。お役に立ちたいと願うのは、信頼しあって相互扶助する仲間が必要だという心の声です。
どんな生き物もこの世には必要なのだから、争うことよりもお役に立つことで出会う仕合せ、旅をする歓びを実感できるのでしょう。自分から肩を寄せ合っていけるような素直で正直、オープンな互助の真心を育てていきたいと思います。