現実とは何か

物事は頭で考えているようなことはほとんど起きていないということを思うことがあります。それは実践をするときいつも思い出すのです。

人間は頭で考えている中では自分の価値観や思い込みによって勝手に空想した世界を思い浮かべているものです。自分の都合のよいことばかりを考えていては、どこか現実とずれている感覚にはならないものです。

実際に現実を直視したら、どうしたらいいではなく何を実践するかに変わります。なぜなら現実を変えるには妄想ではなく具体的な行動を変えなければならないからです。具体的な行動を変えるというのは実践をするということです。

なぜ人は実践するものが必要かといえば、現実の真っただ中にいなければ実際の現実を自分自身がありのままに受け止めることができなくなるからです。そして現実の中にいるということが前進するということです。人は成長をするというのは現実の中ではじめてできます。

そして現実とは何かといえば自然のことです。

ここでの自然とは自我(妄想)と自然(現実)というように定義してみます。人は自我が強いほどに妄想に捉われ、自然であるほどに現実の中にいます。簡単にたとえると、自然の中ではいくら頭で野菜や作物を育てようと思っていても育ちません。実際に手をかけ丹精を籠めて育ててみなければ野菜も作物も育つことがないのと似ています。

つまりは自然(現実)の中での出来事とは、すべて実践することではじめてなるのです。考えているだけで実践しないのが一番よくないといわれる理由は、それだけ自我に捉われ妄想をぐるぐるとまわすだけになるからです。

実際の自然というものは、その字のごとく自ずから然るがままです。そこに対してどのように対処していくかに、現実を変えていく仕組みがあるのでしょう。

ヨハンゲーテにこのような言葉が残っています。

「いつも、自然は正しく、自我が誤まる。もし、自然に従がうことが出来るならば、
すべてのものは、自然に、成し遂げられる。 」

自然に従うというのは、気付いたら実践に移していくという意味でしょう。内省をして過ちに気づいたら新たな実践を形にしていけばいいということです。

そしてこう続きます。

「時を短くするものは、実践であり、時を長くするものとは、怠惰である。」

怠惰は自我に捉われ、実践は本質を捉えるということでしょう。だから為すべきことが為るのです。「生きているうちは何事も延期するな、なんじの一生は、実行また実行であれ」とも言っています。

時は早く過ぎ去りますが、実行して積み重ねた量だけが未来を創造するのでしょう。怠らず努めなければ何事も成就しないということです。

最後に現実とは何か、ゲーテはこう言います。

「現実を直視する心に、本当の理想が生まれる。」

現実を直視しようとすれば、人はありのままであるがままの世界を受け止めなければなりません。自分に都合が悪いことや、世界の矛盾のあらゆるものを呑みこみ消化していかなければなりません。しかしそこにはじめてそのうえで自分がどうあるべきかという理想に出会えます。

そしてひとたび理想(理念)が現実の直視から練り上がったならばあとは「現場実践」を行うのみです。現場と実践を足して現実の真っただ中です。妄想で人生を終えるのも理想で終えるのもその人の生き方次第。

今は教科によって頭でっかちになってしまった世の中ですが、周りに流されず淡々と粛々と地道を歩んでいきたいと思います。現実の中にある楽しみや歓び、そして豊かさを味わい尽くしていきたいと思います。