3つ子の魂

「3つ子の魂100まで」という言葉があります。これは3歳までは魂のままという意味になります。では魂とは何かということですが、それを深めてみます。

そもそも人間には本能というものがあります。それはこれがやりたいと思う心です。人は納得するまでやりたいことをやることを発達と呼びます。発達はそのものがもっとも望むものを納得するまでやり遂げるとき満足する状態をいうように思うのです。

産まれて間もない本能のままの子どもが将来何をしたいのかを産まれてすぐから発達のために練習をはじめるのですから、それはもともと持っている魂の力であるといえるのです。これは自然本能の持つ作用ですが、魂の持つ作用です。

3つ子までが魂なのは、その年くらいまでは誰もその子どもの本能を抑止することができないからです。

どうしてもやりたいことがあるというのは、何がそうさせるのかということです。それは理屈や理論では証明できない已むに已まれぬものの存在です。

今の世間はそれを抑止することで魂を曇らせ世間の価値観に染まった錆びた大人にしていきますが、本来はその3つ子の魂を持ったままに純粋に育った人たちが大きくなり子どもたちにもそれを成し遂げてあげたいと信じることが他の人たちの仕合せを願う自分の生き方になるように思います。

自然界に於いても、ありとあらゆる生命がつながりの中で必要とし合い産まれてきます。そして誰が止めようともどんな境遇にあっても最期まで必死に自分の生を全うするのを已めることはありません。その運命がたとえ私たち人間からみたら悲惨に見えてもその魂は満足しているように思います。

良し悪しを大多数の人間の尺度と価値観で決めるのではなく、そのもののいのちがそのものらしく納得しているかどうかという尺度が「3つ子の魂」の求めるところです。そういうものをもしも100歳まで持てればその生はどれだけ満足したものかと思うのです。

人生は二度ありませんから、その人生が一度であるならばそのものがやりたいことを納得するまでやらせてあげたいのが天の真心と一体になることかもしれません。まだまだ実践が追い付いていませんが、真摯に正対し今、此処を研鑽していきたいと思います。