主体に転じる力~自分の問いにする力~

人は力を出したかどうかというのは主体であったかどうかに関係します。そしてその主体というのは、自分の心の転じ方にあるように思います。

例えば、ピンチをチャンスと転じることができる力、ドキドキのプレッシャーをワクワクに転じることができる力、メンドクサイと思えることを面白がることができる力、苦しいことも大変なことも愉しいと味わい深く転じることができる力などです。

外界の出来事が何かが起きるとき、自分の思い通りにはいかないと思ったときにやる気がなくなってしまう人と、外界が自分の思い通りにならない逆境のときこそやる気がでてきて燃える人というものがいます。前者は、出来事に対して受け身であることに対して後者はどんなときでも主体は自分、積極的に人事を盡そうと全身全霊を発揮することができるのです。

先日あるクルーが「出し切りました」という言葉がありました。これはどんなことでも必ず善いことにするという覚悟が、主体を出し切ったといえるように思います。外界の相手がどうであれ、外界の出来事がどうであれ、自分の人事を盡し切るということに迷いがなかったのです。

そういう自分の姿勢に天も味方するのでしょう。天はいつも正直で素直を尊びますから、そういう自らの主体性が運やツキを呼び込むのです。そしてこの主体と楽観性こそが信じているということであり自然なのでしょう。

自分の力を発揮して出し切った後に振り返ると、その発揮している間に不思議な出来事や奇跡との遭遇、また面白い発見や出会いが沢山あったことに気づきます。そして多くの見守りがあり、自分が尊いご縁に恵まれたことを実感するのです。

そしてそれこそが本物の「自信」になります。

自信を持てる人というのは、常に出し切る経験を積んでいるともいえます。自分の力を発揮することを知ることで、自分というものの本来の存在の意義や価値に気づけるからです。そうなるとまた真剣であることや本気であることが愉しくなります、この好循環を得ている人が何よりもハタラク幸せを味わっているということでしょう。

本物の自信とは、畢竟、外側からつくわけではなく自分の中からついてくるものです。自分が転じることができるほどに人事を盡したか天命を待てたか、その両輪の真摯な実践の中に感謝があってこそ育っていくように思います。

何はともあれ転じる力が情熱のことです。自分の内在している情熱を自らが燃焼していくのはいのちの力を使っているともいえます。自分を燃やしていくことほど人生の豊かさと愉しさを実感できます。迷わず善いことへと丸ごと転じ続ければいいのです。

日々はかけがえのない機会に恵まれています、どの出来事に対しても自分の問いにする力をもって積極的に主体に転じて、二度とない丸ごとの人生を味わい深いものにしていきたいと思います。