人は自分が誰かのお役に立つことを仕合せに感じるものです。人に親切にするというのは、親切をさせていただける仕合せを噛みしめているということであろうと思います。
それは言い換えれば、自分の存在が困っている人の力になれることが何より嬉しく楽しく有難く幸せだと感じるからです。自分の存在が困っている人の力になるときほど感謝を実感するものです。
仕事というのは本来は人の仕合せの「仕」です。そして人に仕えるというのは奉仕の仕です。奉仕とは見返りを求めず相手のために思いやりで取り組むことです。仕事というのは、誰かのお役に立つことを自分のこととして真摯に捧げていくことのように思います。そしてそれが親切の本質であるように思うのです。
この親切という字は、親を切ると書きますが不思議に思いかつて調べてみたら身が切れるほどの親しい距離にいるという意味でした。つまりはそれくらい相手と親しみ同じかそれ以上に共感してその人のために尽くしてあげるということです。
だからこそ親切にできること、親切をさせていただけることは本当に有難く感謝に満ちているのです。そしてそれをするのが本来の「仕事」の定義ではないかと思うのです。昔は親切のことを深切としそれくらい深く関わることを大事にしましたし、滅私奉公というように自分を世の中に捧げきることが大切だということを確認し合っていました。
今の時代は歪んだ私的な個人主義が蔓延し、自分中心に物事を捉え視野も狭くなっていますから如何に仕事が仕合せかということも振り返ることもなくなってきたのかもしれません。そのことから仕事という定義が変わってしまっているように思います。「仕事ができる」という意味も結果だけのできるになっていて、本来の「できる」という意味が勘違いされているように思います。仕事ができる人になるというのは、単に作業が早く完璧にやることではなく思いやりや真心が自他一体になっているほどの親切で行えるということなのでしょう。
そして私たちは社會の御蔭様で存在できていますから、自分が何で社會に認められているか、そして社會の何のお役に立てているのかを実感できることが本当の自分に出会い続けるということになるように思います。
自分探しばかりすることが若い人の間で流行っているのはもしかすると周りのお役に立つように生きることの意義を見失っているからかもしれません。自分の存在価値に出会えることはとても仕合せですから仕事ができるというのは本当に有難いことなのです。
畢竟、仕事とは自分の仕合せに出会う事です。
その仕合せを単なる作業にしてしまうことが何よりも貧しく寂しいことのように思います。自分が困っていることは誰かも困っているし、相手が困っていることはきっと自分も困るのです。お互い困っているのならばお互いで助け合おうというのが人間だと思います。
人間の道は親切と相互扶助ですが、大事なことを大事なままに取り組んでいきたいと思います。素晴らしい仲間たちと一緒に仕事ができる仕合せに感謝しています。