今の時代は如何によく見せるかで価値が決まってきます。たとえば、新しいのではなく新しそうならば新しいと思いますし、見た目がきれいであれば中身もきれいだと思い込みます。
しかし実際は、中身とは異なっていても見た目をコーティングさえすればさも良いもののように価格を決めては提供していることがほとんどです。
かつては、本物を見極める目を持っていました。何が本物であるのかを昔の人たちは知っていました。自然に精通していた人が多かったのもあるのかもしれませんが、本物の見分ける力があったように思います。
食べ物一つをとっても、本当に発酵によってつくられた味と、合成甘味料と香料により醸造加工しつくられた味もすぐに味分けができていたのです。今では、本当に発酵したものがほとんど流通しなくなり、幼いころからそれを本物だと刷り込まれ、思い込まされてきていればもはや偽物の方を本物だと思い込んでしまいます。
今の時代は、本物が偽物にとって代わられている時代です。それくらい昔からの本物は消失し、人間が見た目を誤魔化し本物そっくりにコーティングしたものを信じ込んでいます。
このような時代で、本物だといくら言い張ってみても他と見た目が変わらないのだから本物であるかどうかなどを考えることもありません。むしろ古臭いと毛嫌いする人たちもいます。
私たちが本物を見極める力とうのは、本来の持っている本能の力です。その力が減退してしまえば、自ずから社會に本物が減り続けます。
本来、本物とは自然体です。自然の時間と自然の手間暇、自然のプロセスでできたものが自然ですが人が時間も手間もプロセスも省けば不自然なものばかりをつくるのでしょう。
本物に触れるのは、自分がいつまでも本物であるためです。
何か本質か、何が本物か、自然を使ってかんながらの道で表現していきたいと思います。