循環の価値観

日本には七福神という神様がいます。恵比寿様を中心に、周りには外国から来た神様たちが総勢七人で宝船に乗って並んでいる姿です。不思議な光景ですが、なんだか見ているだけで仕合せな気持ちになります。七難七福、どんなものも一切が福に転じれば宝になるという教えです。

私たち日本人というのは、「もったいない」という言葉が世界で有名になりましたが本来、無駄やゴミという発想がありません。神話に登場するすべての物事一つ一つに神様の名前がついていて、この世にあるすべてのものは丸ごと神様です。それを八百万の神々と呼んで、祖神はいつもどの神様も大切に尊びます。

西洋では、必要不必要というのを自分を中心に仕分けていきます。人間(自我)を中心にして考えていきますから、価値は人間が決めてしまいます。東洋は自然(無我)の中で一体になって暮らすことを大切にしてきましたから無駄という概念があまりないように思います。簡単にいえば無駄やゴミと思っていること自体が価値を自分が決めてしまっているということです。

どの価値も本来の価値が観えれば一切の無駄は消えてしまいます。そしてその無駄が一切ないという価値観とは何か、それは循環の価値観です。一見、要らないと自分が思っていても”必ず何かの役に立つ”のが自然です。自然は無駄が一切なく、この世の中には不必要なものは一切ありません。その価値が感じられなくなった人間’(自我)があるだけで、どんなもの一つにも価値があるのです。

世の中はつながっていて全体であり、丸ごとで一体だからです。

これが西洋と東洋のチーム観にもあるように私は思います。西洋のチーム観は能力の組み合わせです。能力をどう組み合わせて良いチームにするか、つまりは目的を達成するためのチームです。しかし東洋は能力の組み合わせではなく家族の結束力を重んじます、皆で結束することで困難を乗り越えようとする、要る要らないではなく全部役に立つという発想です。

ここに私は何よりも大切な思想や姿勢、「日本人としての生き方」があるように思うのです。

私たちはどんな神様も大切にするのは、一緒にいることで何かの役に立つことを自覚しているからです。その時にすぐに能力を発揮しなくても、一緒にいれば必ず何かのお役に立ちます。

今の時代は、能力主義ですから能力がなくなることを過度に怖がっている人たちがいます。能力だけ磨いて、一人で仕事をする方が効率がよく重宝されるとさえ思っていますがその人たちはどこか孤独を感じているように思うのです。それは役に立つかどうかを誰かのの価値観で決めるからです。

チームとは何かという前に、自分の価値をどのように認識しているかが何よりも大切なのです。自分の価値は能力があるから必要なのか、それとも自分の本当の価値は一体何か、そして周りの人たちの真価は何かを実感できているかということです。役に立つということの考え方を自分自身がまず観直さなければ本当のチームにはなりません。

そう考えると人は一人一人が自分自身の本当の価値を正しく認識できてはじめて「結束」になれるのかもしれません。一見、価値がなさそうなものであっても一緒にいれば何かの役に立つことを知っている心こそ「もったいない」に通じる心です。

最初の七福神のように相手の持っている宝を見出す力がある人というのは、自分の中にある宝も見いだせる人です。それはどんなものにも神様が宿っている、八百万の神々とともに暮らす人たちになっているということです。

「一緒にいれば必ず何かの役に立つ」と本当に信じ切れるかが仕合せの感度を高め、真のチームを実現する源になるように私は思います。そのために数々の刷り込みを取り除く工夫が必要ですが、実践により気づきを喚起していきたいと思います。