先日、映画俳優の高倉健さんがお亡くなりになりました。筑豊の中間出身で、以前取引があった保育園で園長から保育園に通っていた小さいころのことなどをお聴きしたことがあります。その園には高倉健さんからの色紙がありそれが玄関に大切に飾ってあったのが印象的でした。
座右の言葉が「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」というものだったそうです。この言葉は天台宗・比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏から贈られたもので一生大切にしたそうです。
この言葉は『大無量寿経』の中に記された阿弥陀仏の言葉の引用とあります。それは「假令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」という言葉です。(たとえどんな苦毒の中にあっても、すべての人を救い切る「南無阿弥陀仏」を実践しそれが成就するまではどんなことがあっても決して精進をやめない、そしてどんなに苦労しようと私は悔いはない」という意味になります。
とても素敵な言葉です。
そしてこの言葉を実践して生き切った余韻や香りが、故人の生き方から観えてきます。人はどのようなことをしたかではなく、どのように生きたかが亡くなってみてはじめて観えてくるように思います。
人が偉大だと実感するのは、どうしたかではなくどうあったかということです。
自分の信念を掲げ、一生精進して歩んだ人の道や背中には何を大切にしていくべきかという偉大なメッセージが入っているように思います。常に後を続く者たちの模範であること、常に後に続いてくる者たちのために生きること。
道を続いてくる後人のために自分の生を譲り生き切るという生き方は、今の時代のように自分の人生のことだけに囚われてあるものを使い尽くそうという中で、高倉健さんの生涯は不器用ですが実直で正直な生き方ではないかと改めて感じ入るものがありました。
まさに「謹厳実直」という生き方を教えていただいた気がします。
同じ時代に生きている方の御縁を大切にしていきたいと思います。