人間にはそれぞれに与えられた人生があります。産まれた時から今に至るまで、その人にもっとも相応しいものを与えてもらい今の自分が存在します。自分というものの認識は、今与えられている全てに感謝できるときにだけ本来の自分であることができるものです。
しかし人は不平不満から与えられていることよりも、不足していることの方にばかりに関心を抱き、今を受け容れることをしないものです。
その代表的なものが「自分で決める」「自分で歩く」ということの放棄です。
物事に限らず全ての機縁は、来たものの選択によって左右します。言い換えれば日々は全てにおいて「選択と判断」によって大きく変化していくからです。来たものに対してどちらを選んだかで未来は全て変わっていきます。
来たものに対して自分にとって都合の良い方ばかり選ぶ人と、来たものに対して自分にとっては都合が悪くてもそれ以上の大切なもののために最善を選ぶ人と、それはその人の生き方といった判断基準によって変わってくるものです。
ある人はチャンスをすべて棒に振り、ある人はチャンスは全て活かすのです。それは判断次第ですが、その判断がまともにできるのなら人間はみんな完璧な存在になります。しかし人間は本来、与えられた役目がありますから完全な存在です。それを前提に物事を省みると、来たものを選ばないことが最も今の自分に相応しいということになるのです。
そしてその時、同じ出来事を通過してもその体験の質を考えないといけません。つまりは、その道は与えられたものを歩かされているのか、それとも自らが歩んだかということです。
もしもその人が自らの運命を信じてすべて来たものを選ばないと決めているなら、矛盾していますが本当の意味で選ぶことを決めなければなりません。向こうから日々に訪れた時処位に対して歩かされてしまうのか、やらされてしまうのか、それとも自らが歩むのか、自らで決心したのかは唯一その瞬間瞬間に選択できるものだからです。
人生というものは、外側の世界をどうするかではなく自分の内側の己に対して如何に正直に素直にいるかということが本当の勝負です。だからこそ、目の前の出来事に対して頭ばかりを使うのではなく、出来事を心を味わい、それに対して自らが積極的に決心をし進んで義務を甘んじる勇気と実践が何よりも大切なのです。
日々の仕事にしても、やらされている人は与えられているものを結局はちゃんと受け止めずそして単にそれをこなしているだけで敷かれたレールの上を背中を押されて歩まされているだけになります。人生は一度きりですから、レールがあるならそのレールを自らの決心で受け容れ、自らの足で歩んだときそのレールは最幸のレールになるのです。
親のレールであれ、誰かのレールであれ、今のあなたがいるのはそれはもっとも相応しいからそこに在るのですから文句を言う前に大事なのはそのレールに感謝しそのレールを自分のものにする覚悟こそ「道」だと思います。
道を単なる道路にしてしまえば目的地までいくのは自分勝手にできるのかもしれません。しかし道は単なるレールでも道路でもなく、あなたに与えられた唯一無二の道なのです。
道は自らの足で歩んでこそです。
本当の自分を取り戻すには、何よりも日々の瞬間瞬間を選ばずに選び自らの足で道を「切り開き踏み締める」ことで得られると思います。人生は気づけば何度でもやり直せるのも道の御蔭様です。
子どもたちに見せられる背中を歩んでいきたいと思います。