人は無意識に我執や自我に捉われているものです。それに気づけば自分を中心に正しいとか間違いとか誰かを裁かなくなっていきます。そのためには「認める」という実践を積み上げていくしかありません。
認めるために最初に必要なのは、「自分が正しい」というものを手放す勇気が要ります。自分を突き通せば突き通すほどに他人の言っていることを素直に聴けなくなります。認めるというのは言うを忍ぶと書きますが、これはまず自分が正しいというのをどれだけ忍べるかに由るのではないかは私は思います。
自分が正しいなら本来、相手も正しいのです。なぜならその人にとっての意見は何らかの理由が存在するからです。つまりどの話も一理あると聴けるかどうか、相手の話を素直に受け止めて正直にいられるかどうかということです。
他人の話が聴けるようになるというのは本当に難しいことで、それは相手を尊敬し尊重することができるようになってできるものです。自分が正しいと依怙地になり自分を守っていたら、他人の思いやりや真心にまで反発してしまいます。言うことを頭で従順に聞くのではなく、あるがままに思いやりや真心で聴けるようになるには「自他を信じる実践」の積み重ねで人格が研鑽練磨されていく中で次第に身についてくるように思います。
つまりは認めるという実践は、自分が正しいを手放す実践でもあり、その実践は自他を信じ切る実践でもあります。このように実践により信を積むためには、傾聴、共感、受容、感謝、これを言い換えれば「きっと何か自分には分からない大切なことを教えてくださっているのだろう」と自分の周りにあるすべてを師にしていくような謙虚さが必要です。
どれもこれも道の実践ですから、簡単にはいかず長い時間がかかるものです。常に内省し改心を怠らず、見守られている感謝に報いるためにも精進していきたいと思います。