メンターとメンティという相互の関係についてもう少し深めてみます。
映画の三銃士を会社で見る機会がありました。先日からメンターとメンティの在り方を深めているのにちょうどよく、仲間を通してどのように人物が関わり合っているかを関係性の中から再認識することができました。
三銃士で有名な言葉は、「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」があります。映画ではこれを「一心同体」と訳していました。
アトス、ボルトス、アラミスという国王直属の精鋭部隊で近衛兵でもある銃士隊で名を馳せる人物が三銃士です。そこにダルタニアンといった銃士を夢見る新人が入ってくるという話です。
これは会社でも同じく、生き方や哲学、そして実践をしている先輩に対して後輩が入ってくるのに似ている関係です。三銃士は絶妙な見守りを通して、仲間との信頼、結束の強さ、守るものの価値、自立しているモデルを自分たちのありのままの生き様を通して見せてはやらせてみて志に信を入れていきます。
もっと簡単に言えば自分のありのままの生き様を見せて本人に考えさせ、そして本人なりにやることを認めて覚束ないところはフォローしてあげるというように寄り添い大切に見守っていきます。
何かこの通りやれと指示命令をしてやったことだけを評価するのではなく、自分たちの生き方や生き様で手本を見せてはやってみろと挑戦を促し、その上でできないところはいつでもフォローするという安心感を与えます。そのフォローは出来事だけに限らず、ダルタニアンの向こう見ずで気が強い性格の弱点なども見抜き、三銃士は陰ながらフォローしていきます。
その中でダルタニアンは次第に助け合いを学び、成長し、立派に銃士として自立していくのです。
そもそもメンターとメンティとは、互いに信頼し合っているから絆が結べます。それは言い換えれば「一心同体」の関係です。それを仲間とも言います。この三銃士の話が美しいのは、本質的な仲間意識を観るからです。それは単に強い集団といるから安心というわけではなく、「一心同体」だからこそ安心だということです。
家族や真の仲間といった心の絆の清らかさと美しさを大切にしている安心です。
メンターとメンティとは生き方を通して、同じ生き方に共感し、その生き方をできるように見守り合い育ち合う存在ではないかと私は感じます。この関係は志と共にする生涯の「友情」と呼んでもいいのかもしれないし、同じ理念を掲げて命を懸けて共に戦う「戦友」と呼んでもいいのかもしれません。
そういう「真の仲間」に自分自身の心が絆を結べ、廻り合えることは何よりも仕合せなことだと思います。孔子や仏陀、キリスト、吉田松陰、同じ師を持つ弟子たちもまた、メンターとメンティだったのでしょう。
最後に、ダルタニアンは国王や王妃を助けた褒美として銃士隊になることを認められます。その信条は、国王を守るということの本質として真実、勇気など大切な生き方を貫くように約束します。
そしてダルタニアンがつい昔の癖で一人で何かを遣ろうとするときに、三銃士はその若者を引き留めこういいます。「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために(私たちは一心同体だ)」と、いつも仲間と一緒に闘うようにと促すのです。
三銃士はとても興味深い映画で、ここでは本当の強さというものは自分のみの力を頼り一人でやることではないと教えが入ります。真の強さとやさしさは、仲間の絆であるというストーリーです。
今の時代、なんでも一人でやることばかりを教育され刷り込まれてきましたが一人ひとりの真の自立において「仲間の絆」というものが如何に大切か、改めてメンターとメンティとの関係から観直してみたいと思います。