17歳の頃から数えて21年間、毎年、この時期に山口県の萩市にある松陰神社に参拝にきています。ここには青年期より憧れた吉田松陰の魂が息づいていて、自分の生き方と照らし合わせては四季を振り返っています。
魂の先輩に触れることで、どれだけ魂を磨いてきたか、体験を気づきに換えて如何に学問を深めたかを確認するのです。松陰神社の中にある、ある一角に心が穏やかに澄む場所があります。
同じように思想を遊ばせるとき、死生を超えたところで魂が触れ合うのかもしれません。ご縁は本当に不思議で、現実にはいない人であっても心中にはいつも生き続けている人がいます。自分もそういう生き方をし、子どもたちに永遠永劫の勇気を与えられるような大和の風土になりたいと願っています。
吉田松陰に留魂禄があります。これは死の直前に書かれたもので、いわば遺書のようなものです。この世と別れる最後の最期に記した思想は、魂の指南書とも言えます。命懸けで学び、命懸けで弟子たちに教えたものは何だったか、そこに全て籠められています。
「今日死ヲ決スルノ安心ハ四時ノ順環ニ於テ得ル所アリ 蓋シ彼禾稼ヲ見ルニ春種シ夏苗シ秋苅冬蔵ス秋冬ニ至レハ 人皆其歳功ノ成ルヲ悦ヒ酒ヲ造リ醴ヲ為リ村野歓声アリ 未タ曾テ西成ニ臨テ歳功ノ終ルヲ哀シムモノヲ聞カズ 吾行年三十一 事成ルコトナクシテ死シテ禾稼ノ未タ秀テス実ラサルニ似タルハ惜シムヘキニ似タリ 然トモ義卿ノ身ヲ以テ云ヘハ是亦秀実ノ時ナリ何ソ必シモ哀マン 何トナレハ人事ハ定リナシ禾稼ノ必ス四時ヲ経ル如キニ非ス 十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ 二十ハ自ラ二十ノ四時アリ 三十ハ自ラ三十ノ四時アリ 五十 百ハ自ラ五十 百ノ四時アリ 十歳ヲ以テ短トスルハ惠蛄ヲシテ霊椿タラシメント欲スルナリ 百歳ヲ以テ長シトスルハ霊椿ヲシテ惠蛄タラシメント欲スルナリ 斉シク命ニ達セストス義卿三十四時已備亦秀亦実其秕タルト其粟タルト吾カ知ル所ニ非ス若シ同志ノ士其微衷ヲ憐ミ継紹ノ人アラハ 乃チ後来ノ種子未タ絶エス自ラ禾稼ノ有年ニ恥サルナリ 同志其是ヲ考思セヨ」
果たして今の私は吉田松陰のような循環を、今を本気で生き切っているか、自分の生が後の世の子どもたちの教えになるような生き様であるか、ここに来るといつも未熟な自分を恥じ入るばかりです。
いのちを懸けて教えてくださったその魂の生き方を、守り通したいと思う同志は今でも産まれ続けています。私のようなわかりづらい人間に着いてきてくださる方々、支えてくださる方々がいてくれるのも、どこかに吉田松陰の見守りがあってかもしれません。
人生とは「四時ノ順環」である。
魂も自然の循環であることをしかと肝に命じ、何事も至誠と真心、正直に素直にかんながらの道の実践を盡していきたいと思います。