昨日から磨くについて書きましたが、なぜ磨く必要があるかといえば自分の徳を引き出すためです。人間には一人ひとりの個性があります、特技とも言ってもいいし、特性とも言ってもいいと思います。天がその人にだけ与えた自分らしさとも言えます。
その個性や特技は、人間力に左右されます。人間力を伴わない個性や特性は世の中に活かせるものになりにくいからです。それを上手に扱える人がいればいいのですが、本来はその実力は自分で磨く必要があるのです。
日本には武士道があり、侍には刀があります。
刀は磨きに磨いても鞘から抜くことがありません。そんな毎回、何かがあるたびに刀を抜いていたら磨いている価値もまた失われてしまいます。その侍の価値は磨き貫かれた人間と刀に観照してその生き方を示していたのでしょう。
人間力も同じく、磨かれていない特技と磨かれていない人間性であればもともと天から頂いた力を世の中に活かすことができません。荒削りな特技では、先ほどの刀でいえば迷惑千万、むやみに周りを傷つけたり、怪我をしたり、すぐに破壊したりするからです。
もともと持っている特性や徳を引き出し、活かすには自信が必要です。それは真摯な場数によって失敗を繰り返し改善を続け、自己練磨、自己修養によって得られます。自信とは、自分に打ち克った数ではじめて自得できるからです。困難や試練は自分の魂を磨いてくれる試金石です、その苦労を自らかって出るような生き方や勇気こそが自信につながるのです。
知性ばかりを褒められる人は人の評価を気にして失敗を恐れては場数を避けようとしますが、それでは真の自信はつきません。自信は文字通り自分を信じることですから、本質に生き失敗を恐れずに苦しい方を選択しその苦労をじっくりと味わって楽しみに換えていくような努力が要ります。
最後に、磨くということについてある空手家の名言があったので紹介します。
「特技を磨くとは、自分を磨くことだ。自分を磨くとは、自信を磨くことだ。」(大山倍達)
そして自分の特技は、大義に生きた人にもっとも与えられるものです。そして大義を貫くからこそ自分が磨かれていくのでしょう。何よりもまず「初志」があって「貫徹」することではじめて磨かれるのが魂です。
そしてもう一つ、共感する言葉がありました。
「何のために強くなるか?それは自分に打ち勝つためであり、義を通すためであり、人を導くためである。」(大山倍達)
真の漢には、強く優しくなりたい理由があるのです。
そのためには常に自分と正対し、怠惰な自分に喝を入れては日々に自分に打ち克つ努力と精進が要ります。それが磨きの本質ということでしょう。気づき打ち克つ、つまり研磨するということはそういう今一瞬を生き続ける覚悟です。
まだまだ自分は本物の特性については分かっていません。自然の道具、本物の道具を学び、そこから特性を身に着けていきたいと思います。来年は、「磨く」ことをテーマに様々な実践を高める一年にしていきたいと思います。