「習慣は第二の天性なり」という諺があります。習慣の力は大きなもので、生まれつきの性質と変わらないほど日常の行動に影響を及ぼす、また広辞苑では「習慣は人の性行に深くしみこんで、生まれながらの性質のようになる。習慣が人の性行に影響することの大きいことをいう」という意味で使われます。人間は「慣れ」によってできあがっていきます。言い換えればその人の一瞬一瞬の生き方や生き様によって出来上がっているということです。
これを少し深めてみようと思います。
人格形成という言葉があります。人格が出来上がってくるというのは、どのような習慣をその人が持っているかということです。例えば、自分が得をすることばかりを考えて生きている人と、周りのしあわせのことばかりを考えて生きている人ではその持っている習慣が異なってくるものです。
前者は、自分の身のことばかりを憂いてはもっと自分に都合が良いことばかりに腐心していきます。しかし後者は、周りのことを思いやりどうやったらお役に立てるだろうかと利他をします。その生き方一つとっても異なってくるのは、前者はいつも機嫌悪く自分のことばかりを気にして暗いですが後者は周りを喜ばせようと機嫌よく笑顔を絶やしません。結局は、その人の考えたが習慣に顕れるのです。
そうやって慣れてしまうと、自然に習慣が考えを形成し、また考えが習慣を形成するのです。よく潜在意識と顕在意識という言い方をしますが、顕在意識の奥に潜在意識があり、その潜在意識がどうなっているかで顕在化してくるのです。
どのような習慣を持つかはその人の今までの生き方にも由ります。今まで持っている「慣れ」を別の「慣れ」に変換するというのが生き方を変えることがですが、これができないのはその本になっている習慣を上書きすることができないからです。言い換えれば初心を忘れてしまうからです。
日々生きていれば情報を取り影響を受けるのが私たち人間です。その情報を毎回取捨選択していくのですが、その本になっているものもまた「慣れ」に由ります。だからこそ、初心を持ち忘れない工夫、いわば実践により己の今までに打ち克つことで刷り込まれた習慣もまた変えていけるように思うのです。
新しい習慣を身に着けるには、常に忘れないための実践が必要です。習慣の上書きともいいます。どのように生きたいか、どのような生き方をしたいか、それは向き合えば自ずから明らかになります。如何に自分の本心に正直であるかが試されるのが習慣ともいい、それが天から与えられた個性を活かすということになるのでしょう。
日々は自然体に近づくための人生道場、人生修養です。
自分の決めた生き方に対して正直に自らの性質を知り、本来のその天性を研ぎ澄ませ素直に練磨の実践を愉しく天命に慣れ親しんでいきたいと思います。