人は「役割」というものがあり、使命というものがあるといいます。自分の思った通りの人生ではなくても、人生は思った以上のことに出会っているときその役割について考えるのです。
役割とは、自分が求めていなくても今の自分がどうなっているのかを内省してよく見つめれば自分が何をするために産まれてきたのかの意味も実感できるように思います。生きているときは、自分の我欲もありますからどうしてもその役割に気づくよりも自分の思い通りにしたいと思うのかもしれません。
電話の発明や教育者として有名なグラハムベルと、社會貢献や教育者として有名なヘレンケラーの関係の中で二人の持った「役割」についての思想を垣間見ることができます。6歳の時、自分の障がいへの不満から癇癪ばかりを起こして暴れていたヘレンケラーに両親が心を痛め、これは医者ではなく教育者が必要だと聾唖教育家を父に持つグラハムベルに教育を依頼しました。
元々幼少期から思いやりの深かったグラハムベルはヘレンケラーに真心で接して、その障がいにより傷ついた心を癒しました。その時にヘレンケラーがどんな気持ちであったかを後年の自伝で語っています。そこにはこうあります。
「わたしたちの周りに取り囲む静けさは、神経を休める静けさではない。他人と自分を引き離し閉じ込める、残酷で厚い壁のような静けさです。その壁を破ってくれたのがベルさんだった」ヘレン=ケラー自伝(講談社)
私の認識では、グラハムベルが行ったことはヘレンケラーの刷り込みを取り除いたのです。母親が聾だったグラハムベルは母親のために新しい視話法などを発明した人です。その母親の気持ちがよく分かる人物だったからこそヘレンケラーの思い込みと刷り込みを取り除き素直の原点に正し、方向性を発明し導くことができたように思います。
その後、グラハムベルは自らの家族の境遇が急変し仕方なくアメリカへと旅立ちます。その時、間接的に紹介した人こそサリバン先生でありその後のヘレンケラーの進むべき実践の「道」を片時も離れずに見守ります。
そしてヘレンケラーが大学を卒業する際に、再びグラハムベルに自らの進路を相談しヘレンケラーに生き方を導きます。ヘレンケラーはこう言いました、「サリバン先生と山奥の中でひっそりと暮らし、作家活動をしたいと思います。」と。するとグラハムベルはそれに対し、「できるだけ多くの事をした方がいい。一つでも多くのお仕事に携われば、それが目の見えない方や耳の聞こえない方の為になる」と諭します。
そしてその言葉に従って、ヘレンケラーは世界中の障がい者のための活動を行い、その教育と自立、福祉、事業を一生涯かけて展開するのです。
グラハムベルは、その後、私が今でも大変好きな「ナショナルジオグラフィック協会」の創設に強く関わりその会長も務めています。科学する心、教育をする心、つまりは人間そのものの育成を最期までやり遂げるのです。電話の発明ばかりが注目されますが、実際はそれ以上の偉業を遺している方なのです。
役割というのは、決して思い通りではなくてもその人の志す道に対して正しく導くことによってそれが明らかになるように思います。自分の与えられた天命は果たしてどのようなものかは自分自身には簡単には分りません。いくら周りをみて羨ましがってみても、人は他人になれるわけではありません。
しかしそういうものを諦めて、今の自分であることをあるがままに受け容れてみたら自分にしか与えられていない使命に次第に気づき、自分の人生の方向性をより志の高い方へと導いて膨らませていくことができるように思うのです。
善い教育というものは、その人をより善い社會貢献者に導くことのようにも思います。教育の本義は、人間社會の一員である以上、自分の役割を自分の体験をもっと多くの人たちのために活かしていこうとする真心であるように私は思います。そしてそれは見守る中にある尊さの一つ、「導き(みちびき)」ということなのかもしれません。教育者には導きがあります、先生というのはその体験を活かして導くことができるから先生なのです。
そのためにどうあるべきかもグラハムベルはその遺訓の中で述べています。
「目の前の仕事に専念せよ。太陽光も一点に集めなければ発火しない。」(グラハム・ベル)
人々を導くためには、自分がその人生を丸ごと受け容れる覚悟と発明の両輪があることを教えてくれます。 日々に初心を忘れずに引き続き、今に見据えて精進していきたいと思います。