鏡の法則~心の鏡~

人間の心は鏡のようなものではないかと思うことがあります。その人のものの観方や考え方が相手の心に投影するからです。

例えば、なんでも人の善いところを発見しようとしている人が相手を自分の心に鏡に映すならその相手の善いところを映し出します。相手はその人の心の鏡を眺めることで映し出された新たな善い自分に出会うことができるのです。

このように人は人に出会うことでお互いを鏡のように映し出しますから、自分の心を澄ませて美しくしておくことは、相手の心の穢れや曇りを洗い清めることにもなるように思います。

自分はどのような鏡になるのか、そういうことを考えないかもしれませんが鏡の法則の本質とは自分の心を在り方をどうあるべきかということを伝えているように私には思います。

自分の心や自分の思いをどのようにメンテナンスしておくか、それは自分の考え方の基本姿勢をどこに置くかということでもあるのです。自分が毎日出会う人たち全てに自分が影響を与えているわけですから自分自身の心に責任を持たなければならないように思います。

どんな出来事も善いことに思い信じることや、どんな相手に出会っても相手を認め、相手の善いところを伸ばそう、持ち味を活かしてあげたいと思うことは、より善い豊かな人間社會を担う一員として大切なことのように思います。

それが自分が機嫌悪くし、嫉妬や妬みを持ち、人を信じず、不安をまき散らし、相手の欠点ばかりをつき、人と比較しては、損か得かとばかりを考え、物事を悲観的にし、どうせ無理だとあきらめているような心の鏡では、周りの自信も奪ってしまうことになり貧しい人間社會に傾かせてしまいます。

そういう心の穢れを祓い清めて、自分の心の鏡を如何に善心へと転じるかが自分自身で取り組む実践のように思います。日々に内省するのも、自分の心を正し修めるためです。そしてひとたび、多くの人に影響を与えている自分を自覚するならば自分自身の心の鏡を相手の心の鏡に映して相手を善い方へと導くことがその役割と使命だと思うのです。

コーチングであろうがコンサルティングであろうが、カウンセリングであろうが、その人の心が曇っていては相手の心を見守っていくことはできません。相手を見守るということは、相手から見られる自分ばかりを心配するのではなく相手を見守る自分の心こそ心配することです。

自然を観る心、思いやりを感じる心、仕合せを願う美しい心、利他に生きる優しい心、大義に生きる強い心、私はそれを「真心」と呼びますが、日々に真心のままに生き方を一に帰し、内省を鑑に実践を続けていきたいと思います。