先日、幸運について考える機会がありました。人生には運が善いと言われる人たちがいます。なぜ運がいいのかと観察すれば、その人たちが運が善くなるような努力を続けていることに気づきます。
運が産まれながらいいというのは、その人の運が善くなるようなセンスを先祖たちが持たせてくださったとも言えます。無意識下で、本能が何を努力していけば運が善くなるのかを自覚しているということです。しかしその天性の運があったとしても、その後にその努力を怠ってしまえば運のセンスもまた減退してしまうように思います。
他にも運はご縁の中で導かれていくものです、善い人たちと出会い続けることができる人は幸運だとも言えます。それも自らが運が善くなるような生き方をしているから、そういう人と出会うとも言えます。
さらに自分の思ってもみなかった運に廻り合い、その運を伸ばしていくのも努力です。どうにもならないことをくよくよするよりも、自分のさせていただけることに感謝してできることを精進している人はいつも周りの力を借りて物事を成就していきます。
つまりは運とは一体何かということです。
私は思うに運とは「心がけ」のことではないかと思うのです。そして運を左右するのは「心をいれかえる」ことではないかと思うのです。
その人がどのような心がけをしているか、運の善い人は運の善い心がけをしているし、運が善くない人はやはりそういう心がけをしています。運がいい心がけの人に私淑し、その人の心がけを真似び、それを実践していくことで運は開けていく話はあちこちで耳にします。そうであれば、運とは心をいれかえることでいくらでも善くなっていく可能性があるということを示しているのです。
「心をいれかえる」というのは、変わる決心をすることからはじまります。
今までの生き方や習慣、考え方や行動、心の姿勢や態度を深く反省し、その心を別の心に変えていこうと決心をし、別の習慣や生き方、考え方や実践、その心がけを見直し練り上げていくのです。
人は先天的に運が善い人ですら努力していますし、後天的に運が善くなった人も努力を欠かしません。いつも自分の心がけを善くしていこうと精進していくことこそ、目には観えない幸運に包まれていることに気づくセンスを磨くことかもしれません。
子ども達が知らず知らずに影響を受けて幸運の中で道を歩めるように、自分もその周囲にいて先人のモデルになる大人なのだから心の倖せを見つめつつ、周りと一緒に心がけを高める実践を増やし弘げていきたいと思います。