結び~真心の共感~

人の心に共感する仕事というのは、人の心に寄り添う仕事です。数々の現場でいつも感じるのは自分の真心がどこまで相手と一体になっているか、自分のことに思えているかという自問自答でした。欧米ではカウンセリングという言葉もありますが、それでは何か足りないとずっと感じていました。

なぜかといえば、相手と自分が分かれているなかでいくら相手に近づいてでもそれ以上は近づけないという場所があります。それは自分が相手と同じにはなっていない、どこか分けてしまう場所があるからです。相手の心に寄り添うというのは、ありとあらゆる感情に一緒に向き合うのですから単に知識や頭でできることではなくまさに全感覚を研ぎ澄ませていくものです。

それに自分がどんな状況でも望みを捨てず信じているからこそ、相手はその自分によって哀しみや苦しみが癒されていくのです。不安や心配の中で真摯に耐え忍び乗り越えようと人がするとき、そこに希望を探します。その希望を見出し守るのが本来の共感ではないかと私は思います。自分がどれだけ相手の絶望に寄り添いながらも自分が希望を捨てないか、それがどれだけ厳しいことかといつも感じるからです。

聴福人、一円観を実践する中に、傾聴、受容、共感、感謝があります。その中のすべてはある一点に向かいます。それは日本文化の真髄でもあるし、かんながらの道の達する境地でもある「結び」の一点です。

心がよそにいかず、心をうしなわず、いつも心がそばにいるという境地は、「分けない」ことではじめて可能です。どんなに忙しくてもどんなに状況が変化があっても、心はいつも結ばれたままであるという安心を与えることです。そしてその結びのご縁というものも、「この人と私は強い結び合いがある」と互いに信じることで希望の糸は織られ紡がれていくからです。

この結びという真心は、目には観えませんが私たちの精神の支柱になっているのではないかと私は思います。かつて、私の祖母や私が尊敬する方々は皆、この結びによる真心の共感を私にも発揮してくださいました。

そのことで矛盾する様々な感情を全て丸ごと受容でき、御蔭様の実態を見出し、全て感謝に昇華していきました。この考え方は、これからの世界を変える可能性を秘めた私たちが尊ぶ「和の心」と密接につながります。

一円観の境地は、数々の実践現場でのみ磨かれるものですから心を離さず、心を寄り添い、心を分かち合い、心を結び合い、心と心の共感によって得られます。

単なる思想ではなく、如何に現場で技術として活かせるかが何よりも大事です。現実を変えなければ世の中も変わっていかないからです。聴福人を育て、子どもたちの未来を一緒に創造していきたいと思います。