昨日、新宿せいが保育園の成長展を拝見する機会がありました。もともと保育園や幼稚園では、作品展というように子どもの作品を展示するイベントが行われるものです。もちろん作品展は作品展で面白い部分もあるのですが、子どもの成長を実感できる機会にしようと発達を感じられたり、子どもの気持ちに共感できたりと、様々な工夫をしている成長展には感動しました。
もう30年以上前からこの成長展は実践されているそうですが、親子が一緒になって子どもの発達を喜ぶ時間を持てるということは大変素晴らしいことだと思います。
人間は自分でも成長しているのが分からないものです。それを振り返り、どれだけの発達があったか、それをどう日常で発展させたかを思うとき、そこに自分を大事に見守ってくださっている存在や、また努力して少しずつつけてきた生きる力を実感できます。
人間はこういう機会を持つことで、自信を持つことができ、人間の基礎に感謝の土台を築きあげていくことができるように私には思えました。
今の時代は目に見えるところばかりを評価する世の中で、目には観得ないところを慮ることが少なくなってきているように思います。サービス一つとっても、分かりやすいサービスが多いところにばかりが良いとすぐに判断しますが、実際のサービスを超えるホスピタリティまでを観て判断している人はかなり少なくなってきました。本来は目に見えないところが充実していると実感できるところにホスピタリティは感じられるものです。相手から言われたからただやっているサービスというのは、不足観は満たせても本来の心の充足のような安心感や安楽感までは得られないのです。今回の成長展ではホスピタリティを実感できるものばかりを見た気がします。
発達というものは、「そのものが自然に自ずから発していく力」という自然の力に対し、それを包み込む自然環境の「偉大なる恩恵の中で達させていただいている力」という宇宙の力のようなものを同時に感じられるものです。
発+達が普遍性がある由縁は、それが「つながり」の中で行われているものだからです。どこか一つだけを切り取って発達が分かるのではなく、発達は丸ごとのつながりではじめて実感できるものです。
昨日の成長展を実現するには発達意識が先生方が自分のものになっているからできるものです。きめ細かく5領域の発達を観ては、それがどこにつながっているのかを理解しています。それは日頃の発達を先生方が専門性が高い仕事している証拠であり、いつも発達を優先して子どもたちの環境を用意して改善を積み重ねているからこそ、あれだけの上質な成長展にしていけるのでしょう。
それを「まるで文化祭のようです」と先生たちが楽しみながら準備し実践する姿に、一貫して発達を見守るという意識が一人一人の先生たちの根底に根付いていることを実感しました。
このように発達を見守ることを優先することで、子どもの今を常に味わっていくという生き方と働き方は子どもたちの人生の自立おいてもっとも大切な宝になると感じました。
ミマモリングの繰り返しこそが、一人ひとりの先生方が子どもを見守る際の根拠になることを改めて確信できた機会になりました。このような子ども第一義の保育園が全国に増えていくよう、私たちも実践を弘めていきたいと思います。