青春の真価

先日紹介したサミエル・ウルマンの詩「青春」ですが、もう一度深めているとオリジナル版というものがあることに気づきます。本来、サミエル・ウルマンが詠んだ詩がそれぞれの解釈で多くの人たちに語り継がれるうちに改編され今に至るようです。

サミエル・ウルマンのオリジナルには、「アンテナ」という言い方で表現されている一文があります。そこまでご紹介しなければ「青春」の本質がズレてしまうと思い、敢えて追加して紹介します。

「・・・さあ限をとじて想いうかべてみよう
あなたの心の中にある無線基地
青空高くそびえ立つ たくさん光輝くアンテナ

アンテナは受信するだろう 偉大な人々からのメッセージ
崇高な大自然からのメッセージ
世界がどんなに美しく驚きに満ちているか
生きることがどんなに素晴らしいか

勇気と希望 微笑みを忘れず いのちのメッセージを
受信しつづけるかぎり あなたはいつまでも青春

だが もしあなたの心のアンテナが倒れ
雪のように冷たい皮肉と氷のように頑固な失望におおわれるならば
たとえ二十歳であったとしても あなたは立派な老人

あなたの心のアンテナが 今日も青空高くそびえ立ち
いのちのメッセージを受信しつづけるかぎり
たとえ八十歳であったとしても あなたはつねに青春

真の青春とは若き肉体のなかにあるのではなく
若き精神のなかにこそある」

心の在り様次第という言葉にはじまる子どものような好奇心を持ち続ける精神、それを無線基地という言い方をしそれを受信するアンテナ、つまりは感性を磨き続けよという意味に私は解釈しています。

青春とは、真実を知ろうとすることを諦めるときに消え失せるのかもしれません。

人生はどこまでいっても分からないことばかりです。わからないからこそ希望が頼りです。その希望を諦めさせられるような世間の常識に負けない真の強さと逞しさ、それが子ども心の中にある好奇心のように思います。

どうせ無理だと誰かに言われても自分が言わなければそこに青春があります。
やっても意味がないと誰かに言われても自分が信じればそこに青春があります。
言うことを聞けと誰かに脅されても自分が本質に生きればそこに青春があります。

青春とは心そのものの姿です。

どんなに周りの環境が自分に厳しく降りかかろうとも、心の持ち方次第で一生青春を謳歌できるのが真の学問の醍醐味ではないかと思います。何が教育の本義なのか、教育とはその人が一生青春できる力を育むいのちの磨き方を与えることではないかと思います。

もしも先を生きる大人たちが子ども達に心の持ち方を与えることができるなら、子子孫孫まで人間は誰しも自分らしい人生を謳歌できるようになるのかもしれません。

青春の真の価値を改めて学び直していきたいと思います。