終わらない夢

私たちはかつての人たちに様々な生き方を遺していただいていることに気づきます。

昨日書いたサミエル・ウルマンの「青春」の詩も、その詩に夢を遺した人物と、その人物の目指す理想を受け継ぐものたちによって夢が続いています。書き記した人物はもう死んでしまって生存していませんが、その人の夢は他の人に語り継がれることによってこの世に存在しています。

忘れ去られていくのが世の常ですが、それを忘れない人たちによってその夢は時代を超えて遺っていくのです。しかもそれはその人が出会ったこともない人たちですし、その人が生きていない時代の人たちなのです。

自分の遺志というものは、誰が受け取るのか、そして誰が後を綴り夢を観続けるのか、それは誰にも分りません。しかし確かに分かっていることは、夢は終わらないということです。

夢が終わらないからこそ、どんな夢を自分が観ているのか、どんな夢を観たのか、そういう物語が何らかのかたちによって出会う事を信じて諦めないで生き方を遺していくしかないのではないかと私は思います。

沢山の人たちの夢は、全て一つのところに集約されているように思います。

それは人類の夢とも呼んでもいいのかもしれません。人類の夢は時代と関係なく、世界と関係なく、生物無生物の分別を超えて今に生き続けています。

夢を明らかにすることは、その時代の夢の継承の発信でもあります。夢は代々集積し偉大に発達していきますからその初心を忘れないように夢をカタチにしていきたいと思います。