執らわれない心

人生は不思議で思い通りではない時の方が思った以上のことが起きているものです。

有名な故事に「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。これは中国の淮南子という古い書物に書かれている物語ですが私はこの言葉が大好きで、実際には世間には悪いように見えている禍の出来事であってもその実は、天の計らいによって福に転じていくこともあるという仕合せの原点回帰の話のように捉えています。

通常人は一般的に周りや世間からみると同情されるような出来事が発生すると落ち込んでしまうものです。自分の中で落ち込んでしまえば、それは不幸だとか禍だとか勝手に信じ込んでしまいます。しかしこの中国の塞翁は、「本当は善いことかもしれないよ」とその時々に周りに言っては、時間が経つとすべてそれが福に転じて戻って来るので周りは驚くのです。

これは悪いことの側面に善いことがあり、幸せの側面には不幸がある・・・しかしその両方が何かの御蔭様に由っていると思うとき、その仕合せは禍福が一円満になっていることに気づいているのです。

物事とは片方だけで見るのではなく、両方で見ることは大切です。そして同時にそれは一部分だけをみるのではなく全体で観ることが大事です。しかしつい人間は自分の感情に呑まれてしまうと、視野が狭まり目の前のことだけで見える世界がいっぱいになってしまいます。

そんな時、信じることができているならそれは実は天から与えてもらった贈り物かもしれませんし、願っていることが次第に叶っている最中なのかもしれないと思えるのです。

これは謙虚に虚心坦懐に日々に信を積み重ねていく精進があって仕合せのめぐりあわせに気づく感性を高めていくから実感できるようになるのかもしれません。不思議なことですが人は一般的に誰かと同じような出来事が起きていたにせよ、その仕合せに気付く感性次第では物事は全く異なった真実をみせてくれます。

信じるということの奥深さはこの人間万事塞翁が馬の故事の中に秘められています。

畢竟、どうにもならない運命に対して、どのようにそれを味わっていくかはその人の人生次第です。一度しかない人生をどのように味わったかを、後で振り返るとしたならばあの時、信じて本当に善かったと思えるような歩み方をしたいものです。

ご縁を大切に、御蔭様を感じながら、執らわれない心を磨いていきたいと思います。