新しい道

人はそれぞれに役割があるように思います。その役割とは全体の中で自分がやるべきことは何か、自分にしかできないものは何かを感じて実行する力のことです。その広さをどこまでの広さでみるか、どこまでの高さでみるかで自ずから使命の設定も変わってくるものです。

自分が何のために産まれてきて、自分が何を求められているのかを知ることは世界の中で自分が一体どういう生き方をするかを決心していくことに似ています。

例えば私の場合は、子どもたちのところにいて今までの人たちができなかったことを成し遂げなければなりません。もちろん今の人たちが行うことも必要なことであり、私はそれぞれの信念で取り組んでいけばいいと思っています。しかし業界や組織というものも時代の変遷と継承の中であまり村社会の秩序や既成概念による世間の常識に捉われすぎると変化が滞りかえって凝り固まって本質を失ってしまうこともあります。

そういう時は一度、ゼロに戻して自由に冒険をしてみないといけません。しかしこのゼロ冒険は固定概念の中からはほとんど起きません、それまでの否定はみんなできないのです。そういう時、敢えてゼロから冒険をするチャレンジャーがいります。危険な方を敢えて選択して、みんなを鼓舞してやってみせる人が要ります。時代はそういう人によって世間の価値観や考え方もまた刷新され、新しいモノサシを自分たちが持つことができるのです。こういう人たちのことを新たな道の開拓者と言います。

そういえば先日、蟻の通り道を観察する機会がありました。

同じように蟻が行列をつくりみんなが一つの道を辿っていく中で、敢えてその道を通らずに往く数匹の特殊な蟻たちがいます。その蟻たちは不思議な感覚で、近道や今まで考えもつかないような道を探し出します。そして一たび、新たな道を開拓したならばそれまで通っていた他の蟻たちもその新たな道に方向を転じて歩んで往くのです。

蟻だけではありません、常に誰かが冒険をしなければ新たな道は切り拓けないのです。

世間から変なことをしていると言われようとも、誤解され非難されようとも、またおかしなことをやっていると揶揄されようとも、前人未到の挑戦をしていかなければならない已むに已まれぬ大和魂もまたあるのです。カグヤもまたその一端を担うものであると私は信じて進んで往く途上です。戦略というものがなぜ必要かというのは、新しい道にたどり着くためです。

天を敬う思いやりや真心には人はみんな正直でいられます。人生を決して自分のモノだけにせず、志を定め天の命に従い人事を盡したいとするのは人は誰もが感謝に包まれている心があるからです。

自分の欲しているものは相手から手に入らなくても、いつもその時々に必要なものを全部丸ごと与えてくださるのが天でありご縁ある方々です。ここまで来れたのも天の御蔭様、今があるのも皆様も御蔭様だと念じて、枠の外に出て冒険し子どもたちのためにこれからも新たな道を切り開いていきたいと思います。