この時期は秋に収穫するための苗作りに余念がありません。昨年、育てた野菜の種を今年の土に蒔いていくことは昨年ともに無事に暮らしてきた有難さも実感しめぐりの倖せを感じます。
そもそも育てるというのは、御互いの心を天に通じ合わせるということです。何もしなければ育てているとはいわず、何かをするから育てるのですがその育てるということは、生きる道の上で御互いの信頼関係を結ぶのにとても似ています。
本来、野菜を育てるのは最初から「野」にあったものを採集しにいくのではなく種から見守って育てたものを「野」に戻すのです。「野」というのは、あらゆる生き物たちが暮らしています。そこには一つの自然の社會が存在します。自然の厳しい社會環境の中で、存分に自らの野生を発揮しては生き残りをかけて全身全霊で暮らしています。
それは植物たちや虫たち、動物たち、菌類にいたるまですべてのいのちは自分のいのちを燃やし切り他と共生し他を食べ、生死のめぐりを繰り返しつつも貢献し合っています。
弱いいのちではすぐに淘汰され、他のいのちに呑まれてしまいます。そんな厳しい環境の中で育つように適宜つかずはなれずそのものと対話して生きる力を信じて見守る必要が出てきます。
一生涯、ビニールハウスの安心安全な中で育てることもできますがそれでは環境の変化に順応できる力強い生命力は身についてはいきません。もしも永遠にビニールハウスで育てるのならいいのですが、自然の変化に適応して順応するにはそのものの生きる力を引き出していくしかありません。
また私たちは栄養だけではなく、いのちを食べていますからいのちを燃やし切りいのちを引き出して育ったもののいのちをいただくことは自分に元気を取り入れることです。
厳しい野の中で、御互いのいのちをめぐり合わせることで”自然の真心”を実感でき、そのことが私たちのいのちの感覚も育てるのです。
厳しい環境の中でも負けないように弱いところはカバーするということが具体的な見守る方法です。「あなたのことをいつも見守っているよ、あなたが生きようと真摯に生きるなら必ずあなたを助けてくれる存在があるよ」という心を持って「野」に戻すのです。これが天を信じ助ける心、つまりは王道に入ったという証です。
野に戻ったいのちは、その信を心に抱き自然の法理に従って生きる道を間違えず種になっていきます。私が自然からもっとも学ぶものは、自然には確かな真心があり、そこには確かな王道が存在するということです。この境地を知るために実践修行を積み重ねているといっても過言ではありません。
自然の王道から外れないように、自然の真心をもって育てつつ育てられる存在のままに学び直していきたいと思います。