先日、ブログのコメントで「負けない強さ」を教えていただきました。
『「負けずに生きていく強さ」が必要です。この「負けない強さ」というものも重要な強さではないかと思います。「打たれ強い」「辛抱強い」「我慢強い」「粘り強い」「根気強い」という言葉もありますが、何があっても「志を貫く強さ」が欲しいものです。仲間と励まし合って「倒れても倒れてもまた立ち上がる」そんな「何度でも戦える強さ」を持ちたいと思います。』
とありました。まさにこれらはチーム戦で使われる「仲間と励まし合う」言葉で、一人は皆のために、皆は一人のためにと協力しているときにこそ人は真の強さを持つのではないかと私は思います。
自分に自信があるとかないとか、自分は強いとか弱いとか、それぞれ個人のそれは比較対象の中で自分で認識しているものです。誰と比べて自信があるのか、誰と比べて勝負するのか、それはその人の我と評価から出ていることがほとんどです。
先日、ある仕事をする中で仲間の有難さと尊敬を感じた一面があります。
その人は、お客様のためにはどうやればもっとも善いかだけの判断で行動するのです。私のこともなんの躊躇いもなく活用し、お客様の倖せを信じて最善を盡すのです。自分の力があるとかないとかは別に関係がなく、常にゼロベースで仲間を信頼して新しいことに挑戦するのです。
そのエネルギーは、新しいアイデアや創造性、そして応援や勇気を仲間にもたらします。私自身もその行動する背中を見守りながら、自分が何をなすべきかが自明するのです。自分の強さなどは関係がなく、理想や理念のために仲間を信頼して大切な”みんなの思い”を守るのです。その唯一無二の仲間と一緒に取り組む倖せ、その最幸のチームとの一期一会、まさにこれが「負けない強さ」の本質ではないかと思うのです。
自分だけでやっていると思うのではなく、仲間がそこまでつないでくれたネガイがあることや、仲間が自分を信じて助けてくれたオモイがあること、仲間がいるというアンシンや、仲間とともに歩んでいるんだというココロがあるからこそ真の強さが持てるのです。
この真の強さがないものは、何かがあるとすぐに勝負の前に力尽きてしまいます。本来の勝ちたいというものも、何があっても勝ちたいという貪欲さからくるものです。しかしこれも仲間と守りたいものがあるから託されて負けるわけにはいかないから勝ちたいのです。もちろん自分一人、己に打ち克つ孤独も必要ですが、理念や目標を同じくする仲間があるからこそ信頼ができます。仲間との絆は甘えや弱さと勘違いされますが、信じて任されたという責任、その信託は厳しいものなのです。
背景に持っているものや背中に背負っているものが大きければ大きいほどにその人は負けるわけにはいきません。そして対するものが大きければ大きいほど自分だけでは乗り越えられないものです、つまりなにがなんでもと必死です。だからこそ人類はみんなで手をつなぎ、心を一つにして「仲間の信頼」という絆によって力を繋ぎ合せて一緒に負けない強さを持ったのではないかと思います。
仲間を信頼するものは逆境をバネにさらに強くなり成長して負けくなってきます。疑いこそが自分だけの力に固執し、信じることで我執を手放せます。信を中心にするチームは、いつも愛に溢れます。任せた、託した、命じた、これらの運命共同体の信託はチームの絆の証でもあり結束です。
人間はいつも極限の中で新しい自分に出会い今の自分を刷新していきます。その時に仲間の信託と仲間への感謝が基盤にあることは自分を一回りも二回りも偉大に成長させるうえで何よりも重要なことではないかと思うのです。結束なく戦うものはとても弱いように思います、なぜなら「結束」こそが人類が手にした自然の叡智であり力の源だからです。
この「信託感謝の強さ」を御縁を活かし丸ごと磨いていきたいと思います。