自然の中で様々な作物を育てているとじっくりとゆっくりと物音が動くことの真価に気づくものです。先日も「ちょっとずつ」こそ智慧であると書きましたが、この時間をかけてじっくりと行われることについて物事が成就することの本質を感じます。
インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンジーに下記の名言があります。
「善きことはカタツムリの速さで進む」
この善きこととは、自然の悠久の流れのことをいうように私には思います。自然の浄化力というものは、とても偉大であり壮大な時間をかけて自然は元に回帰します。それはまるで宇宙の銀河が無に回帰するように、星々の存在が無限であるかのように私たちの想像をはるかに超える営みによって改善され続けます。
地球の悠久の営みの前では、私たち人間が何かの人工物をいくら創ったとしても、そのうちすべて土の中に戻っていき何事もなかったかのようにしていきます。どれだけ人間が眼前の変化に焦ってみても、長い時間をかければ必ず自然に戻るという安心感こそが自然の醍醐味であろうとも思います。
世間にはこのままでは地球は滅ぶと危惧する人もいますが、実際は人類が亡びそうなだけで地球の営みはまた悠久の時間をかけて回帰していきます。「時間をかける」ということは、その心に自然の営みに逆らわない本質のままの実践をするということです。周りから見れば変な実践に見えるようなつまらないことであっても、その決心が自然に照らしたものならばそれは時間をかける営みになります。
今の時代、あまりにもスピード重視、効率重視、結果重視で、不安をあおり焦りを与える競争原理が空気のように社会を包みますが、その心に理念や初心が根付いているのなら本質からブレずにじっくりと実践し歩むことを忘れないでいられるように思います。
ガンジーがいう人類に対してのもう一つの言葉です。
「人生は速度を上げるだけが能ではない。」
魂を生きたガンジーだからこそ、速度というものについて普遍の考えを持っていたのかもしれません。終わりもない始まりもないところにもしも自分を置くとしたら、速度というものは関係がないものであることに気づきます。
「重要なのは行為そのものであって結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分ではどうなるものではなく生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信じることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。」
これもまた「善きこと」そのものの言葉です。
この重苦しい社会の雰囲気を、一つひとつの実践で取り払っていきたいと思います。