昨日、祖父の13回忌の法事を行う機会がありました。亡くなってからも何回も夢に出てきてくれていますから、あまり遠くにいった感じがせずに思い出せば鮮明に脳裏に祖父の姿が現れます。
親族親類が集まり、生前の思い出話をしましたがその人柄が話の中でにじみ出てきます。厳しくても愛情深かった人の生き方が、今の自分たちの価値観に大きな影響を与えたことを知ると、自分自身もいつの日か亡くなるまでにどれだけの人たちの人生に影響を与えるのだろうかと思い直します。
日々というものは、何気なく過ぎ去っていきますが確実に死に近づいていきます。ご縁があった方々と共に歩んだ記憶が今の自分を与えてくださっているのです。いつまでも記憶に残っているからこそ、今を大事に一期一会であることを忘れないでいたいものです。
またその話の中で、祖父の兄弟が戦死した話がありました。一人はフィリピン沖で、またもう一人はガダルカタル島で戦死しました。とても優秀な兄弟だったようで、祖父もなぜ優秀ではない自分が生き残ったのかと自分を責めていたそうです。
戦後、今の私たちの世代は戦争を体験していません。最近の報道をみていたら、世界情勢はますます危険な様相を見せています。戦死した方々が将来、どれだけ平和を望み、今のような平和を手にしたかった、私たちは忘れてしまってはならないと思います。
今の私たちが生きているのは、かつてここまで希望といのちをつないでくださった方々の存在があるからです。つまり先人たちは私たちの先祖たちとも言えます。法事を通して実感するのは、今の私たちがあるのは様々な体験があって少しでも子どもたちのために善くしようと生きた人たちの恩沢洪大があってのことです。
例えば自分の先祖を遡れば、父母が2人、祖父母が4人、曾祖父母は8人とその上の代は16人となります。さらに遡れば10代前は1024人になり、13代前は8192人、14代前は1万6384人と1万を超えます。そして17代前は13万1072人と、10万人を超え20代前になると、104万8576人になります。また一人の人生約50年と仮定して28代目で1400年前、そうすると1億人を超える先祖が関わっていることになります。
これは決して他人事ではなく、自分の今の生があるのは自分を育てて今につないでくださった多くのご縁があった方々の数なのです。先祖のことを思う時、どれだけの人たちが関わってくださって今の自分の倖せがあるのかを感じます。この先の子孫のことを思えば、どんな世の中を自分の代で実現しどんな生き方を自分の代で創るのかを思うのです。
自分を思えば一度しかない人生ではありますが、しかし同時にこの人生は決して自分だけのものではありません。私たちも死を迎え先祖になる日が来るのです。本来の自分の人生とは何か、法事を通して先祖を思い考え直す一日になりました。子どもたちにあの代があったから今の平和があると言われるような生き方を実践していきたいと思います。