人間は一人ではできないことを仲間と協力してできるようになります。自分一人でできることなどは実際にはほとんどなく、多くの人たちの力をお借りしてはじめて事は為されていきます。人は傲慢や慢心になるとき、焦りが生まれそして役に立つということの本質を忘れてしまいます。感謝の心があるからこそ人は自分が何の役に立っているかを自覚し、御蔭様の心を知るからこそ素直に自分が役に立てていることの倖せを実感できるようにも思います。
人は自分と向き合い自分に打ち克つ孤独な精進を積み重ねていかなければ、結局は矛盾を受け容れられず刷り込みに負けてしまいます。本来の焦りや慢心とは、自己との対話や自己への内省といった本質からブレナイ実践を猛特訓して本来の自己や自信を確立していくしかありません。本当は何かと自ら深めているからこそ、ものの本質を見抜き見通し心が強くなり自分を強くしていくことができるのです。そこには自己への甘えを断つ必要があり、自分を自分で甘やかさないとった自律と自立の精神が必要です。根性もここが必要で根気をもって日々に実践をしていき、不満なら実践を高めて厚くし増やしていけばそのうちその人格が磨かれていくように思います。
しかし今度は仲間との信頼関係は、敢えて甘え合える関係を築けなければなりません。自分からどれだけ胸襟を開き、心をオープンにして、共感し、気遣い、他人ごとにせずに、絆やつながりを切らさないように助け合い、信じて、預けて、任されて、頼まれて、認められ、愛されて、感謝されるような関係を創造し築き続けなければなりません。それは仲間を心から信頼し、心から仲間に信頼されるといった絆を結ぶ心が必要になります。本来の思いやりもここで必要で、思いをもった人たちと一緒だからこそ、仲間の「思い」を大切に思いやり続けて真心で自分のもっとも得意なところや持ち味を最大限活用して貢献していくことに集中することでその人格が周りに認められていきます。
そもそも感謝の心というのは、猛特訓できる仕合せ、仲間がいる仕合せを感じているものです。自分が道に入り、道を歩けるのは果たしてだれの御蔭なのか、そして道を独立自尊して歩み続けつつも、そこに学問を朋にする同志が一緒に歩んでくださることも、それは本当に有難いことであると思います。
何を見失うから当たり前のことが観得なくなるのか、それは足るを知らず、ないものねだりをしては完璧を目指し評価ばかりを気にするから自信がなくなるのです。本来は足るを知り、自分に与えられた天分をどれだけ周囲に役立てているかは自分が自他をどれだけ自ら尊敬しているかに由るのです。
子どもに譲ろうとしている生き方と働き方があるからこそここに一切の妥協があってはならないと思います。譲っていく真心は、己を忘れ周りのために真心を盡すことで子々孫々へとその「思い」が継承されていくように思います。
日々に何を優先しているかはその人の生き方や働き方に出てきます。自分の生き方や働き方を日々に内省してチェックし、改善を続けてもっとも至善な生き方、もっとも自然な働き方にチャレンジしていきたいと思います。