先日、「伸びる人」について考える機会がありました。伸びる人の第一条件とは何か、それは「言い訳をしない人」であると言います。言い訳をしないというのは、誰のせいにもしない人ということで自他のせいにしない人のことです。
確かに周りのせいにしたり何かのせいにしたり誰かのせいにしてたら、自分が変わろうとはしなくなっていきます。自分が正しいのに周りが合わせないのが悪いんだとどこかで思っていたら自分が伸びることをやめてしまいます。健やかな成長というものは、自分を直し続けることに余念がないということなのでしょう。
そしてこの伸びるということについて考えてみると、私たちの身近にもっとも参考になる先生がいることに気づきます。それは植物たちです。
植物たちは自然界の中で思い通りにはいかない日々を送っています。強烈な日差し、梅雨の長雨、強風や霜、豪雪から病害虫の到来、動物や人間からの奪取まで、数えきれない困難の中で自分の一生を遂げなければなりません。種から芽を出し、花を咲かせ実をつけてまた種になるまでに数々の困難が待ち受けています。
もしもその植物たちが「言い訳」を覚えるならばどうなっているでしょうか。少し考えただけでどうなるのかは明白です。
植物たちというのは、自然の恩恵の中で自分の方を変化させていきます。どんな天候であれどんな環境であれ一生懸命にその中で自分を変化させては伸びようとします。この伸びようとするというのはまるで自然界への不平不満で自然界の方が悪いんだと文句を言うのではなく、むしろ全て丸ごと恩恵感謝であることを忘れずに自然界に合わせて自分の方を正しく変化させていこうという素直な姿です。
その素直な姿があるからこそ、正しく直し続けようと伸びる態度が泉のように滾々と出ているのでしょう。植物たちのように一生涯、産まれ落ちた場所からほとんど動かないからこそ、自分を変化させることで自然循環の輪の中にピタリと入っています。
人間は言い訳をする生き物ですから、言い訳をしないように準備を怠らないようにしたいものです。心が着いてきているのと、心を亡くし追われているのではその伸びる機会をも見失っているのかもしれません。常に何が来ても順応するという柔軟性は、常に何がきても自分の方を変えるという準備を怠らないということでしょう。準備を怠らない人は言い訳することがありません。来たものを選ばずに、自分を変えるというのは真摯に伸びようとする自然の心、正直の実践です。
正直ものというのは、目先では損をしているようでもあの植物たちのように長い目でみたらみんな大変なことに適応し、徳を積み、長い期間この地球で生命たちの循環のお役に立っています。
植物の生き方を見習い、伸びていく尊さを大切に伸びる人の徳を積み重ねて成長を磨いていきたいと思います。