先日、ある本の中でドリス・デイの言葉に出会いました。その本は、「犬が教えてくれたほんとうに大切なこと。」(シンシア・L・コープランド著)という本ですが、私も幼い頃から犬と一緒に暮らして犬から様々なことを教えて貰った記憶があったことを思い出しました。
幼少期から17年、その後は15年、今では6年、人生のほとんどを犬と暮らしています。その犬は単なるペットではなく、自分の人生のありとあらゆるシーンで時には親代わりになり、ある時は親友になり、ある時はメンターになり、またある時は家になるというように自分の心に如何なるときも寄り添ってくれました。悲しい別れもありましたが、それよりも一緒に暮らし散歩したときの当たり前の風景の中にあった倖せの感覚はいつまでも心の中に遺っています。
ドリス・デイの言葉ではこうあります。
「深く思い悩んだときには、ただ黙って献身的にそばにいてくれる犬こそが、他の何からも得ることのできないものを与えてくれる」
何もしてあげられないけれど心全部丸ごと惜しみなく寄せてくれることにどれだけ心は救われるか、犬は愛するもののために惜しみない愛情を与えてくれます。人間が与えているように錯覚していますが、実際に与えられ続けているのは私たちの方でそれに気づかなくなってくるだけとも言えます。感謝を常に受け容れる犬の姿には感動し、学び直すことばかりです。
またこのドリス・デイの歌う有名なものに「ケ・セラセラ」があります。これはスペイン語で「なるようになるさ」という意味です。激動の人生の中で愛を失わず全てを受け容れる、そしてなるようになるさと信じるということの価値を感じます。
歌詞を紹介したいと思います。
「幼い少女だった頃
私は将来何になるのってママに尋ねた
美しくなる? お金持ちになる?
そうしたらママはこう答えたの
ケ・セラ・セラ
何事もなるようになるのよ
未来のことなど予測できないわ
自然の成り行き次第よ
成長して恋に落ちて
恋人に尋ねた
将来は何が待っているの?
日々虹に恵まれた生活を送るの?
そうしたら恋人はこう答えたの
ケ・セラ・セラ
何事もなるようになるのよ
未来のことなど予測できないわ
自然の成り行き次第よ
今は子どもに恵まれて
子どもたちは自分は将来何になるのって私に尋ねるの
美男子になるの?お金持ちになるの?
だから私は優しく答えるの
ケ・セラ・セラ
何事もなるようになるのよ
未来のことなど予測できないわ
自然の成り行き次第よ
ケ・セラ・セラ」
思い悩んでみてもどうにもならないものはどうにもならないもの。人生は丸ごと運任せ、流れる川に浮かべた舟のようなものなのかもしれません。流れ着く先がどこなのか、そしてこの先どうなるのかは何も分からないものです。自分らしくいられずに常識に囚われ不安になれば誰しも未来が心配になったりするものです。
そういうときは、自然の成り行き次第だから「なんとかなるさ」の心で寄り添ってあげたいと思います。自然界は常になんとかなるさで心を寄り添い支え合う仲間たちばかりです。その仲間の一員である人間、自分の存在を間違わないようにしていきたいものです。
今日もなるようになるさと明るく楽しく朗らかに感謝を丸ごと味わう一日を過ごし、心を自然の成り行きに任せていきたいと思います。