最近は、大きな地震が立て続けに発生しています。また世界ではあらゆる火山が噴火活動に入り、あらゆる場所で地震の頻度が増え、気候もまた大変な様相を見せています。
そもそも私たちは頭では理解しえないものが自然であり、その自然を理解するのに知識や意識で理解しようとすることに限界があります。あまりにも広大、あまりにも遠大、あまりにも無限であるものを理解することは限定された相対観ではたどり着けるものもなく、如何にあるがままの存在を理解するかということに似ています。それは自然に融解して自然と一心同体になる感覚に近いのかもしれません。
地震や天変地異はなぜ発生するか、そこには地球の成り立ちから考え直すことが大切であるように私は思います。そのことについて、弘法大師空海はこのように詩にまとめています。
『生物の住みかとなる自然世界の全体詩』
「自然(地球)はどのようにして誕生したのだろうか
気体(ガス)が初めに空間に充満し
(そのガスが凝縮して)
水と金属がつぎつぎと出て
(水蒸気は大気に満ち、重い鉄は中心部に集まり)
地表は金属を溶かした火のスープでおおわれた
(やがて、地球全体が冷め始めると、水蒸気は雨となって地表に降りそそぎ)
深く広大な海となり
(冷めて固形化した巨大な岩石プレートはぶつかりあい)
地表は持ち上がり、山々は天空にそびえ立った
(そうして、出来上がった空と海と)四つの大陸と多くの島に
あらゆる生物が棲息するようになった」
『十住心論』巻第一、「自然世界」の章 (密教21フォーラムより)
自然(地球)というものは、ガスから産まれそして今の現実のように変化してきました。岩盤と呼んでいるこの地面は、その熱で溶けた液体が冷えて固まったようなものです。言い換えれば、鍋料理の湯葉のように表面上を覆いかぶさっているだけでありそれが時折、海流や磁場の変化、宇宙のダークマターの影響を受けては変動しているようなものです。
その岩盤の隙間から、その熔けた高熱の液体が飛び出してくるのが熔岩です。地球の最深部はまだまだ高温で熱し続けて液体を沸騰させるのだから温まれば温まるほどに沸騰の回数も頻度も増えるということなのでしょう。
ここまで理解できるように書いたとしても、実際は理解できないものの中にあるのが自然(地球)です。それをそのままにどう在るものを受け取るか、それは空を観ては空と観ず、土を観ては土と観ずという、あるがままに一心同体になってみてはじめて達する境地なのかもしれません。
空海が言わんとしたこと、自然の中にあって学んできたこと、今の時代だからこそそれを明らかにしつつ、心はどうあるべきかを観なおして子どもたちに伝えていきたいと思います。