世界では様々な自然災害が広がっています。干ばつ、地震、火山の噴火、竜巻、洪水、火や水を中心に自然の変化をみせています。天の道は変化を已むことなく発生しますから天を畏れ敬い私たちはどのように生きていくかを考えてきました。その上で人の道とは、道徳に沿って慎ましくあることを大切にしてきました。
天に対しては謙虚に、人に対しては素直にと、祖神たちは私たちに常に大切なことを守るようにと言い伝えてきました。それは世界中の神話や歴史の教訓として語り継がれあちこちにその記録は刻まれています。
記録の中には、人心の荒廃というものが環境に及ぼす影響について書かれている箇所があります。人々の暮らしが謙虚で素直でなければ必ず天災が発生するということです。ひょっとしたら、人間の天敵は人間ですから人心の荒廃こそが真の天敵なのかもしれません。地上最強を謳いながらも地球の環境の一部であることは変わりない事実ですから分けて考えることは不可能です。
自然災害は人間だけに発生するわけではなく、あらゆる生き物たちにもその災害は与えられます。地震、洪水、火山の噴火、竜巻、台風、寒波、熱波と発生します。しかし自然界の生き物たちは、天を敬い自然環境と一心同体になっていますからその被害も最小で済んでいます。人間は自然環境に沿っていきることをやめ、人工物の中で思い通りにしてきたからこそその自然災害に多大な影響を受けるようになったのかもしれません。改めて、こういう時代に入ったからこそ自然の中に入り、自然を観察し、自然と一体になって暮らす大切さを感じます。
天災は慈愛に満ちているものですが人災は自分たちの生き方の間違いから発生するものだからです。間違いを改め、自然の中に入り、生き方を改心していかなければいよいよ自然から遠ざかり人災が天災を超越してしまうかもしれません。天災を思うとき、常に自分たちの生き方への警鐘であることを忘れないでいたいと思います。
弘法大師空海の性霊集に下記のような言葉が遺っています。
「境は心に随って変ず。
心垢るる時は即ち境濁る。
心は境を逐って移る。
境閑なるときは心朗かなり。
心境冥会して道徳玄に存す。」
この「心境冥会すれば道徳が磨き貫かれる」という言葉。この心境冥会とは、自然に学び自然の心になることのように思います。善も悪もなく、至善の境地に入るということなのでしょう。
自然を知る心は、私たちの世界の本来のあるべき姿を知る心のように思います。心の原点回帰を人がするとき、はじめて心は道徳に照らされるのかもしれません。本来のあるべき姿に戻っていくことは心との対話を続け、心を高めていくことであろうと思います。そしてその自然に学ぶ心で助け合い共生する自然社會の循環こそが、人災を防ぐ方法のように私は思います。この先も私たちの生き方の中に自然に学ぶ心があれば、天地の王道の間で”いのち”は悠久に守られるように思います。
自然に学ぶ心を忘れずに、精進していきたいと思います。