ちょっとずつ~自然のハタラキ~

自然界というものは、「ちょっとずつ」みんなで分け与えながら存在しているものです。あまり大きくはせず、あまり無理もせず、あまり欲張らず、いつもちょっとずつのハタラキの中に存在しているように思います。

もしもこの世に時間という概念がなく、終わりも始まりもないとしたらそんなに急ぐこともないように思いますし、焦る必要もないように思います。その急ぐ焦るの気持ちはどこからくるのか、それは自分への執着によっておこるようにも思います。

自然の生き物たちは、まるで大樹の根が長い年月を経てゆっくりとじっくりと張り巡らすように、まるで雨だれが長い月日を経てポツリポツリと石を穿つように悠久の年月に「ちょっとずつ」取り組んでいきます。

自分が生きていると思っている存在と、周囲に活かされていると感じている存在。

一見しては同じように観えていても、その心は生長はまったく異なる次元で存在しているようにも思うのです。ちょっとずつ歩んで往く姿というものは、外から見れば平凡で何も変化のない愚鈍にも見えるかもしれません。しかし実際の自然の姿から観ていたらその志や信念足るや非凡そのもの、力強く芯が思いをカタチにしていることを実感します。

如何にちょっとずつ進むかは、その人の信念の強さ、また心がけの正直さによるのかもしれません。自然から学び何よりも感動したのがこの「ちょっとずつ」という真実です。

まだまだ我欲や執着、思い込みや固定概念が抜けずに煩悶とする日々ですがそれもまた自然を学び直す教材の一つと受け容れ、引き続き実践を発明していきたいと思います。