地球人財4~本質的であるか~

時代は過渡期に入り、国境を超えて人種を超えて多様化はますます進んでいきます。そしてグローバル化していく経済や社會の中では一つの正解を頼りにしてはいけず、あらゆる無数の正解を受け容れていく柔軟性が必要になってきます。

そもそもグローバル人材に求められる力として、コミュニケーション力や相手を理解する力、プレゼンテーション力とか色々と言われていますがそれは手段であろうと私は思います。

ではグローバル人財にもっとも必要な力とは何かということです。

私はそれは「本質的であること」であろうと思います。

なぜなら多くの正解の中で物事を進めていくというのは、本質的かどうかということに由ると私は思うのです。人間にはそれぞれに価値観もありますし、その人の視野の広さが事物を決めてしまっているものです。実際に目の前に見える世界だけを世界だと信じている人と、地球規模で物事を観ている人ではその目に観えているものは異なっているからです。

特にグローバルリーダーともなれば、どれだけの視野で物事を捉えているかは何よりも目的を完遂する上で重要です。そうなると、常に本質的かどうかを確かめなければならなくなるのです。

本質的であるというのは、中庸であり続けるということに似ています。全ての情報の中から右に偏らず左に偏らずそのものの中心を見抜く力、本来のあるべき姿から物事を洞察する力のことです。

本質というのは、世の中の常識に囚われず型破りであるともいえるのです。本当のことが合っているのなら、それ以外のことは別にどうでもいいという柔軟性があるということです。私の言葉で言い換えれば初心や理念がはっきりしているのならば、後は流れに任せて応じて合わせる柔軟性を持っているという感じです。

これらの本質を維持する力というのは、常に自分自身が本質的かどうかを振り返り、常にそこから心を離さずに心を入れて物事に打ち込んでいかなければなりません。信念ともいってもいいかもしれませんが、本質を維持するには常に「何のために」という自問自答を続けて根気強く本質的であることを意識していなければならないからです。

これは心の力とも呼んでもよく、心が育っていなければ本質の維持は難しいのです。それだけ人は世の中の都合の悪くなった現実の帳尻合わせのためのルールや法則に惑い翻弄されているともいえるのです。自然から学ぶ力もまた本質の性質を伸ばすためにあります。教育の在り方を思う時、まず何が自然かがわからないような人物が果たしてグローバル人財と呼べるのだろうかと私には疑問に思います。

グローバルリーダーは、混沌の中でも常に本質を見抜き、本物を確かめ、自然であることに精通している中心人物です。人間の浅はかな多数派の意見や、何かしらの偏った正論などには目もくれず粛々と自分の”生き方と働き方”を変えて世の中に貢献していくのでしょう。

これからは無数の正解があっていいと言われる世の中になると言われます。それは言い換えれば、本質的な世の中に入ってくるという意味でしょう。だからこそいよいよ対話が求められる世の中になっていくでしょう。

子どもたちの道しるべになるように、日々に本質を磨き、自然一円観を伸ばして世界のお役にたっていきたいと思います。