人は自分の心のことがなかなか分からないものです。頭では分かっていても、自分の心となるとどこにあるのかそしてどうしたいのかが観えなくなってしまうものです。なぜなら人には感情があり理性もあり、そういうものが自分のやりたいことと、本当に本心からやりたいことを入替えてしまったりするからです。
そもそも自分の本心とは何かということを知るというのは人生の一大事であろうと思います。自分の本心が分かり覚悟が決まるなら、迷いも消えて目の前のことに没頭し打ち込んでいくこともできるのでしょう。いや、目の前のことに没頭し打ち込んでいるからこそ自分の本心に出会えるとも言えます。『無になりたいなら頭で考えるな。 目の前のことに没頭さえすれば、 おのずと無になることができる。』と禅の世界では語られます。本心本来の自分自身に出会うというのは無になっていくということなのでしょう。
そして以前、その無の顕現でもある「天命」ということについて神渡良平さんが書いた文章に出会いました。そこにはこうあります。
「天命とは」
現在の仕事を離れて
天から降ってくるものではない
現在の仕事に没頭していれば
自ずから導かれていくのだ
天はそれぞれに
最高の人生を約束している
誰もが持ち味を発揮
できるようになっている
腐ることなく
めげることなく
倦むことなく
努力していこうではないか
自分の仕事に打ち込んでいる人は輝いている(神渡良平)
今の目の前のことに無我夢中に没頭できるというのは”信じている”からに他なりません。この信じているという気持ちは、謙虚で素直な心の在り様です。そして真心を籠めて与えてくださったものを選ばずに全身全霊を懸けて取り組んでいくことで自ずからご縁は導かれて”なるようになっていく”ということのように思います。
そしていつの日か、自分の持ち味が存分に発揮できる日が来るかもしれません。そうやって信じて念じて、信仰のような心持で真摯に没頭している人は周りからみても輝いて観えるのでしょう。独りが輝けば周りもまた輝いてきます、それは天の星々のように満天の宇宙でそれぞれの光を放つ星空のようにです。持ち味のすごさというのは、八百万の神々のようにそれぞれが唯一無二の役割を果たしあういのちになれることです。
つまり天命を知るには、どれだけ真摯に目の前の志事に没頭するかに懸っています。
頭で考えることも大切ですが同時に頭で考えることなどは全体の一部も分かりません、こころのままに、本心のままあるがままに御蔭様御蔭様でと与えてくださったことをさせていただける仕合せと感謝でどんな仕事も取り組むことができるなら人は天を敬いつつ命を天に預けていけるのかもしれません。気づきというものもまた、天に預けているからこそより研ぎ澄まされていくのでしょう。
素直や正直さというのは本心でいることであり天の真心と同じ姿であるということです。
子ども達に天を敬う生き方が譲れるようにあの植物たちや動物たち、虫たちなどの自然な姿から自分の心を静かに見つめ、天と一体になれるように日々を真摯に精進していきたいと思います。