人間は色々なことを悩みすぎると心が硬くなっていくように思います。一つのことに思い煩いそこに感情が呑まれればどうしてもその執らわれから抜け出すことができなくなります。そうやって自分自身への思い込みが強くなってくると、次第に心が硬くなっていくように思います。
魂を如何に消耗させないでいるかは、常に青春を続けていくことのように思います。
しかし年々、様々な柵が纏わりついてきますし人間はどうしても様々な人たちとのかかわりの中で利害なども発生していますから悩みはつきません。相田みつおさんが「一生勉強一生青春」の中で「年をとって困ることは、身体が固くなるばかりでなくて、頭が固くなること、心が固くなることです。心が固くなると、感動、感激がなくなります。一生青春を保つためには、心のやわらかさを保つこと。そのためには、具体的に何かに打ち込んでいくことだと思います。」と仰っています。
心のやわらかさというものをどう持ち続けるか、そこに魂を消耗させないヒントがあるように思います。
河合隼雄さんが「冗談による笑いは、世界を開き、これまでと異なる見方を一瞬に導入するような効果をもつことがある。八方ふさがりと思えるとき、笑いが思いがけぬ方向に突破口を開いてくれる。」とも言います。
心のやわらかさを思う時、この”笑う”ということを思い出します。笑っていられる心のしなやかさ、そして果報は寝て待てではないですがその時が来るまで面白いことや好きなことにでも没頭して待つこともまた心のやわらかさかもしれません。視野が狭くなり心も硬くなってしまったら、見守りや御蔭様、周囲からの応援にも気づけなくなってしまうかもしれません。
そう考えてみると、「一生青春」というものはあらゆる出来事を楽しむ境地にあるように思います。どんなことがあっても笑っている、何があっても笑って歩んで往く、そういう「笑う門にはいつも福が来る」ように思います。
時折、大切な人のことが理解してあげられず、そして自分がどうしてあげていいのか分からず、ただただ悲しみ、無事を祈りつつも実際は何もできない自分に苛立ち、独り悔しい思いをすることが幾度もあります。しかし本来は丸ごと信じているのだから先に自分の心が硬くなってしまえば、かえってもっとも身近で応援しようとしている自分がその人の邪魔をしてしまうかもしれません。
だからこそそういう時こそ常に明朗快活に心をやわらかく、子どものようなしなやかな姿のままに笑って福を待つことで正直に生きていきたいと感じます。正直さというものは、まっすぐで潔白というイメージもありますが同時にとても柔和な側面もあるように思います。
心に正直に、人生の醍醐味を和らいながらその時が来るまで日々粛々と実践を怠らず天命を待ちたいと思います。