人は心の持ち方を学ぶために人生があるとも言えます。
嫌なことがあったときや辛いことがあったとき、そこからどう転じて学ぶかということができるかどうかでその人の成長が確認できるからです。そして心は自我や執着、また不安や恐怖によって出て来難くなってきます。どんなに足掻いてみてもそうなってしまうものは諦めるしかありませんから、その都度心の持ち方を変えて歩みを止めずに進んでいくしかないのも人生であろうと思います。
上手くいかないと思ったり、考えていた通りにいかないときは、どうしてもネガティブになります。そのネガティブさをどう転じてポジティブにしていくかが心の強さでもあり、心を持ち方次第ということです。
例えば、「いま、ここ」という心の持ち方があります。これは心が離れているとき、その心を取り戻すときに「今」に集中し、「此処」に在ることを確認します。すると、彷徨っていた意識が心の在り処を思い出し、心を取り戻すことができるようになる心の持ち方です。
世界では、「リジリエンス力」といって船が波に揺られてもまた元に戻るように、様々な荒波を受けてもそこから立ち直る力、立ち上がる力として注目されています。失敗を恐れず、果敢に挑戦し、失敗から学び失敗から成功へと転じていく力の根底に必須の心の持ち方であると定義しているのです。
これらはすべて「信じる力」の一部分ですが、如何に心が丸ごと信じているかを人は常に問われているともいえるのです。自分の考えの小さなに気付いたり、相手の考えを受け容れたり、人は自分の心の持ち方次第でその器を大きくもでき、また小さくもなります。
自分の成長というものは、如何に心の器を大きくしていけるかにあるようにも思います。そこには、心が現実の世界に負けない強さ、心の世界の方が現実よりも優先される信じる力が人生そのものの醍醐味を決めてしまうからかもしれません。
過去のことを悔いてみても仕方がありあせんし、未来のことを憂いてもどうしようもありません。そんな時は、過去は意味があったとしみじみと味わい、未来は面白くなりそうだとわくわくと感じる、そういう有難いご縁や御蔭様に感謝する心を今に取り戻して今のままでいいと開き直るなら人はみんな素直になっていけるのではないかとも思います。
この素直さというものは「いま、ここ」と密接につながっているように感じます。
子どものことを思えば、どう過ごしていたって時間が過ぎればそのうち子どもたちの時代になってしまいます。どうにかできるのは常に今だけですから、過去や未来を思い煩うよりも今できることに集中して禍福一円に今を味わい盡力していきたいと思います。