モチベーション~気力を育てる~

人間には気力というものがあります。やる気、本気、意気、活気、士気、元気など、心の底から湧き上がってくる気を使って物事に取り組みます。

気力というのは、目的に対してどれくらいの気が出ているかということです。この気魄というものがモチベーションであり、気を用いることで物事は成就しますし本気であるから人は真に成長します。モチベーションは義務感では発生せず、自由意思によって発揮されていくものです。

それに対してモチベーションがなくなることを無気力といいます。つまりやる気が出ないという状態です。自分自身を他人から責任を負わされている状態にしていることが義務感であり、自分から責任を持つ状態が責任感です。

結局人は自分の人生ですから、他人から責任を背負わされるのか、自分から責任を背負うかでまったくその根本にある「気」が変わってきます。本気というものは、自分から責任を持つと決心するから出てくるものです。他人のせいにしながら何かをやっているから心が枯れてきて無気力になっていきます。気力は自分に矢印を向けて、何があっても自己責任であると覚悟を決めるから滾々と本気が湧き上がってくるのです。

ではなぜこんな当たり前のことができなくなってしまうのかということです。

それは私は義務教育にあったのではないかと思います。人は教育のことを云々言いますが、その前についている「義務」についてはあまり重要視していません。そもそも義務で教育するということ自体が、やる気のない人間を育成することであり自由にしていくことで人はやる気を育てていくのです。

自由というのは義務に対する自由という意味ではありません。

人間は誰でも自分の人生を自分で決めることができ、その責任感が備われば自分の人生を歩むことができるのです。それを誰かに決めてもらうばかりで義務感で生きていくと自分の人生を歩んでいる実感が持てなくなります。

これこそが人間の気力を失わせ、人間の本気を消失させていく理由なのです。

本気の人間になるということがモチベーションを持つということです。モチベーションが上がったり下がったりしていると勘違いしますが、ようは自分から背負うと決めているかということに尽きるように思います。なぜなら自分の人生の責任は自分にしかとれないからです。

何かの物事や何かの仕事をするとき、常に決断が必要です。その決断とは何か、それは自己責任にするということなのです。他人のせいではチカラがでなくても、自分のせいとするなら人はチカラが漲ります。

一度きりの人生なのだから、自分の内面に存在する気を育てていくことで心に栄養を与えてぐんぐんと伸びていくことが野生の植生であり、自然界の中で活き活きと懸命に楽しく生きるいのちの智慧です。

気力を育てるには、自分の人生に積極的に責任を持ってもらうことです。そのためにも自分から選択して自分で決めるということの大切さを、義務教育ではなく見守るを通して子ども達に本気の生き方を譲っていきたいと思います。