協力ができて一人前~自立の本質~

人間だけではなくあらゆる生き物には個性があります。個性とは何か、そういうことをまともに考える機会も少なくなっているように思います。私にとっての個性とは障碍のことですが、いくらその障碍が個性だといっても今では誤解されることばかりです。障害と思っているのは一体誰のことなのか、そして誰にとってのかということに刷り込みを感じます。

先日、「一人前」について考える機会がありました。

人はみんな一人前になれとか、一人前になりなさいと言われて教育をされてきました。私も学校では、一人でできるようになるように周りと同じことができるようにと教育されてきました。ここでの一人前の定義は、「一人になる」ことです。何を持って一人か、それは全体と同じ中の一人という画一的なものになることです。

しかし実際の世の中に出てみると、もちろん大量生産大量消費の一部として自分が存在するのならいいのですが人間は人間の間で助け合い協力しあって生きていきますから、「一人前」になることの定義は他人を頼れるようになることです。つまりは本来人間は一人で生きていくことはないのだから実社會における一人前は周りの協力を得られるよう「一緒になる」ことなのです。そして一緒になるには個性が必要です、個性とはその人が持っている持ち味のことです。私はこれをユニークさと言い換えてもいいます。

ユニークとは何か、それは唯一つの個性、一人前であるという意味です。

個性を否定してユニークさをなくさせることで一人前と定義している社会と、個性を尊重してユニークさを発揮してもらうことで一人前だと定義している社會はまったくその目指すところが異なっています。自分自身であることを我慢して障害というレッテルを恐れてフツウの人でいようと頑張ってみんなと同じようにしていたら、ますます孤独になり一人ぼっちになってしまうかもしれません。それよりも自分自身のままでいいと、今の自分自身を認めて周りの得意不得意を受け容れ周りに頼り自分を活かすことができるならその人は仲間にめぐり会い一人前のハタラキを発揮していくのです。自然の摂理である共生もまた同じく、すべての生き物は一人前として一緒に暮らしていく中で周りと助け合っているのです。

もしもあなたが自分と違う人が気になって矯正させようと思っていたり、何かしらの偏りがあったり見た目がフツウではないと思う人を偏見で決めつけたり勝手に思い込むのは自分の中に歪んだ個人主義の「刷り込み」があるからかもしれません。それをすべて「個性」であると思い直す時、人間は本当の意味で肩の力が抜けて楽になり自他の個性を丸ごと認めることができるように思います。

自分を活かすのも他人を活かすのもまず、その人に具わっている個性がありのままに観えてはじめてできるものです。御互いが得意不得意があるからこそ、御互いに助け合う必要が出て来ます。独りで完璧なっても一人になるだけで、一人前になるわけではないのです。人間の仕合せの根源は、思いやり助け合うことですから協力するということができて一人前であるのは疑いの余地もありません。

子ども達が本来の個性に目覚め、自分らしく豊かに社會で活躍し仕合わせに暮らしていけるように「協力ができて一人前」であることを働き方の実践で示していきたいと思います。